亜人ゴッドマザーズ

前回:Once Upon a Time in a Multiverseむかしむかし、あるせかいで

 

1

論理空間に存在する無数の世界のうちの一つ、天上界セレスティアルワールド。そこは人間や妖精や妖怪や幻獣の類が社会を作って暮らしている世界であり、また、科学ではなく魔法が発展して人間その他もろもろの欠かせないインフラになっている世界である。

その天上界に、魔法科の学院で揃って優秀な成績をおさめた幼馴染7人組がいた。彼女たちは、学院の卒業後すぐ、最高の実力を持った若手魔法使い集団として名声をあげるようになった。彼女たちこそCelestiaセレスティアである。

あるとき、Celestiaの7人はひょんなことから異世界のゲームに興味を持つ。そして、自分たちが異世界のゲームを楽しんだり勉強したりする様子をその異世界の住人へ伝えたいと考え始める。彼女たちは空間魔法の専門家に発注して天上界のなかに7つの半独立空間チャンネルを作り、そこを拠点にして異世界のゲームのプレイ実況動画を異世界向けに配信することにした。

Celestiaの7人は天上界においてはほとんど敵なし、とくに自分の所有する半独立空間では神にも等しい力を持っている。しかし、異世界のゲームをプレイする限りでは彼女たちはまだまだ初心者。異世界のゲームを極めるため、彼女たちの戦いは続く……。

 

というのが、Celestiaの基本設定である。もちろん、Celestiaの7人にとってこの設定は彼女たち自身の人生に関する偽りなき事実なのだが、天上界の外には、この設定をフィクションとして考案した者もいる。

まさしくこの基本設定を考案した人物……そして、このたび問題となっている追加キャラクターをも考案した人物である、バーチャル美少女仙人のうるふ老師が頭を搔きながら言う。

 

「いやー、ほんと申し訳ないやね、昨日の件はさ。私の考えたキャラが勝手に動き出して宣戦布告しちゃうとはねー。まああの『空水彼方』企画を書いたときは我ながらけっこう筆がノってはいたんだけどさ、さすがに君らに許可なく勝手に天上界を滅ぼし始めるとね、へへへ。……ねえ、黙ってないで、みんななんか言ってよ」

 

ここはCelestiaのメンバーであるツグミが所有する半独立空間。青空の下にグランドキャニオンのようなオレンジ色の岩場が延々と広がり、銀色のドーム状の建物が点在している。そんな大地の一隅にパイプ椅子が並べられ、10人のVtuberが輪になって座っている。昨日の一件を受け、今後の方針について話し合うために集まったのだ。

 

10人のうち7人はCelestiaのメンバーだ。

いつも通りの真顔で腕組みをしていて、何を考えているのか、はた目にはよく分からないのがニース。ジョブは神官で、好きなゲームはTRPG。

自分がアイドルとして見られている意識を絶やさず、いまこの会議の席でさえ歌番組のゲストのようにかしこまって座っているのがツグミ。ジョブは時間魔術師で、好きなゲームはFPS。

知り合いで占められたこの会議の場でも、借りてきた猫のようにおどおどと周囲の反応をうかがっているのはレンラーラ。ジョブは死霊術師で、好きなゲームはソリティア全般。

周りの人間が口を開く前に飲み物でも食べ物でもすぐに持ってこよう、そんな運動部の元気のいい後輩のような気遣いで周囲を観察するのがレイ。ジョブは格闘家で、好きなゲームは対戦格闘ゲーム。

アフタヌーンティーを楽しむお嬢様のように、背筋を伸ばしながらも悠然と腰かけているのがパリラ。ジョブは空間魔術師で、好きなゲームは脱出ゲーム。

デートに遅刻してくる恋人に待たされている娘のように、そわそわいらいらしているのがアリア。ジョブは催眠術師で、好きなゲームはノベルゲーム。

そして、交代を待つベンチ選手のように、いつでも立ち上がれる雰囲気を漂わせながらもどこか影が薄いのがツバメ。ジョブは魔法戦士で、好きなゲームはTPS。

 

10人のうち残りの3人は、クリエイター系VtuberギルドであるArtisanアーチザンに所属するVtuber。天上界の外から訪れた客人である。

ショートカットの青みがかった髪を乱雑に掻いているのは美少女仙人のうるふ老師。Vtuberのかたわら現役ラノベ作家としても活動しており、その創作力を見込まれて、Vtuberの企画の相談に乗ることもしばしば。Celestiaの基本設定も彼女が創り出したものだ。

長い金髪のツインテールの先を指でもてあそびながら、うるふ老師の発言に苦笑しているのが美少女エルフのアシルシア先生。もともと自作の3DモデルでVtuberをしていたが、その3Dモデルの美しさが評判を呼び、他のVtuberの依頼で3Dモデルを制作するようになったモデラー。彼女が普段いる世界では、Celestiaの3Dボディも彼女が生み出したものであるらしい。

めんどくさそうに浅く腰かけて空を見ているので、赤髪のポニーテールが後頭部からだらりと垂れ下がっているのがオニ族の美少女、ローチカ博士。また、Celestiaの発注を受けて7つの半独立空間を作った3D空間エンジニアでもある。もともと表には出たがらない性格なのだが、ニースに丸め込まれてCelestiaの動画に何度か出演させられているうちに、彼女もVtuberだということになってしまっている。

 

Artisanの3人は、Celestiaから緊急の招きを受けて天上界にあるツグミの半独立空間まで来た。そこで、うるふ老師が事前にCelestiaに渡していた企画書と、空水彼方のデビュー配信、そしてCelestiaのもとに届いた虹色の便箋を見せられ、事態の深刻さを認識した。いままさに天上界には亡びの時が迫っているのだ。

 

30秒ほどの沈黙ののち、やっとツグミが口を開く。

 

「今回皆さんにお集まりいただいたのは、今後の方針決めたりとか、作戦会議とかしたかったからなんですが。それより先に、あのー、老師。あのかっこいい新人さん……空水彼方さんは、あなたが指示してデビューさせたんですか?」

「それは断じて違う。私はあくまで企画案としてあの子を創り出しただけで、実際にあの企画を採用するかどうかは君たちが決めることだと思ってるよ。だから、私から誰かにデビューするよう指示することもないし、そもそも、君たち7人以外には企画書を見せてもいない」

「じゃあ、誰かが偶然にもうるふ老師とよく似た発想で新人Vtuberを生み出してデビューさせたんでしょうか?」

「それはねー、確かに全くあり得ないわけじゃないけど、まずないと思うんだよな。十中八九、あの『空水彼方』は私が生み出した『空水彼方』そのもの、ご本人。なんでかって言えば、名前が一致してるってのもそうだし、第一、私のセンスにドンピシャ過ぎない?」

「老師のセンス? 具体的にどこですか?」

「世界を滅ぼしにきたラスボスが銀髪紅眼の美少女ってとこだあよ。べつに世界を滅ぼすんなら男でも人外でも何でもいいわけね。そこで銀髪紅眼の美少女がラスボスとしてピックされるんだから、何書いてても美少女ばっかりになっちゃう私の悪いところ出てるわなー」

「……」

 

口をすぼめて困惑の表情を作るツグミ。今度はニースが代わりにしゃべり始める。

 

「じゃあうるふ老師は、自分はあくまで『空水彼方』さんの設定を考案しただけで、彼女が実際に私たちを殺しに来たことに関しては責任がない、と言いたいということですか」

「うん? まあそういうことにもなんのかな、たぶんそうだね」

「ちょっとそれってどうなんですかね?」

「どう、って?」

「虫が良すぎるんじゃないかってことです」

 

ニースはちらとローチカ博士のほうを見る。ニースは話し続ける。

 

「例えば……悪意を持った消費者が、ある製品を製造者の意図とは違う方法で悪用したとしても、製造者はその悪用の責任を問われないでしょう。しかし、悪意のない消費者でも自然に使っているだけで悪用につながる製品なら? あるいは、消費者などいなくても勝手に動き出して悪さを働く製品なら? 製造者は起こってしまったことに対して一定の責任を持つんじゃないですかね」

「そのたとえ話、今回の件に全然似てなくね?」

 

ニースも内心あんまり似てないたとえ話だとは思っていた。しかしこんな詭弁でも、意外なひとの心に響いたり響かなかったりする。

ここでおもむろに上体を起こすのはローチカ博士だ。彼女はやや苛立たしげにメガネをおさえ、かちりと音が鳴る。

 

「確かによ、製造者の責任云々のハナシを今回のうるふの不始末に結びつけるのはだいぶ無理があることではあるな、わかるぜ。第一、『空水彼方を製造したら勝手に動き始める』なんて事態には予見可能性がまるでねえから、この度の一件に関してウチのうるふが責任をとる義理なんざ一ミリもないのかもしれねえ。しかしだな、うるふが仮にも職人アーチザンを名乗るんなら、責任のあるなしを超えて、一度創り出しちまったモンに対してできるだけのアフターフォローはしてやりてえとは思うかもな」

 

ローチカ博士の言葉を聞いてニースの言葉にも多少の喜びがこもる。

 

「さすがローチカ博士、いいことを言います」

「けっ、なにが『いいことを言います』だよ。ニースお前、今日は『うるふはアフターフォローをしろ』って言わせるためだけに関係ねえあたしまで呼び出したんだろ」

違います●●●●。私が『いいこと言うなあ』と思ったのは『ウチのうるふが……』の部分です」

「は?」

「うるふ老師個人が、ではなく、うるふ老師を抱えるArtisanのみなさんが、空水彼方の暴走に対してアフターフォローをしてくれる、そういうことじゃないんですかね?」

「かまととぶりやがって……!」

 

ローチカ博士はニースの意図を察する。ニースは、天上界が宣戦布告をうける、という今回の困った状況に対処するため、複数の部外者を助っ人として巻きこもうとしているのだ。そして、困った状況の原因の一端であるうるふ老師を『責任をとってもらう』とかいった理屈で巻き込むのは当然として、うるふ老師以外の2人をも同じ『責任をとってもらう』という理屈で状況への対処に巻き込もうとしている。

 

「助けが欲しいんなら欲しいってはっきり言やいいだろ。そんな会話ゲームなんかしなくてもはっきり頼めば助けてくれるかもって思わなかったのかよ、これだから若いやつはさあ! いいよ、空水彼方の一件に関して何かお前らが対処したいときは、あたしはあたしの一存でできることは全部協力してやる」

「約束ですね?」

「約束だよ! それで満足か?」

「まことに」

 

ローチカ博士が丸め込まれる瞬間を目の当たりにしたうるふ老師がけたけたと笑いはじめ、博士はうるふ老師をにらみつける。

 

「うるふ、てめえはもちろんCelestiaのやつらに協力してやれよ?」

「え、私はローチカみたく責任感もないし、協力するわけなくね?」

「殺すぞ」

「じょーだんじょーだん、私も協力するって。私の新作『空水彼方』がメーワクかけたぶん、なんでもお手伝いしましょうや。責任どうこう以前に、なんか面白くなりそうだしね」

「カスが」

「アシルシアはどーなの? Celestiaのみんなに協力するの?」

「ん、私? 私はもちろん協力するよー」

 

突然話を振られたアシルシアだが、協力すること自体には迷いはなかった。Artisanの3人のうちでも、Celestiaの7人と最も個人的に仲が良かったのは彼女なのだ。しかし彼女は何かがしっくりこないとでも言いたげに両人差し指をこめかみにあてる。

 

「協力なんて全然する、めっちゃするんだけどさ、なんかそれ以前の問題がでかすぎない? なんかキミたち、大事なところ避けて話してない?」

 

ツグミが両眉をあげて聞き返す。

 

「どういうことですか?」

「いやさー、私こういうチューショーテキなことはうまくいえないんだけど。なんていうのかなー、空水彼方ちゃんって、ゲームを提案してきたんでしょ。『Celestiaが勝てば天上界は現実、空水彼方が勝てば天上界はフィクション』っていうゲーム。でもCelestiaのみんなって、このゲームに参加する意味ある? キミたちは最初っから自分のことフィクションだって認識してるんだからさ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

 

2

思えば、アシルシア先生の言う通り、ツグミやニースたちは問題の核心に触れるのを無意識に避けていたのかもしれない。そう、空水彼方のいう『私に勝たなければ、世界をフィクションにしてやる』という脅迫は、おそらく彼女の狙った通りの効果をあげてはいない。誰かにフィクションにされるまでもなく、天上界はいつだってフィクションだったし、これからもフィクションなのだ。

いつからこんな価値観になったのか。時期は50年前、若手魔導士レチャンがなんとかいう論文において『間世界対称律』と呼ばれるアイデアを発表したころからだ。間世界対称律とは、大雑把には『ある世界Xがある世界Yにおけるフィクションであるとき、同時に世界Yは世界Xにおけるフィクションである』というアイデアであり、そのアイデアは主流派の学者のあいだですぐに受け入れられ、異世界理論の定説とされるようになった。

実際のところ、間世界対称律には競合理論との間にどのような差異があり、どのような過程で主流派の学者に受け入れられていったのか、といった細かい経緯については、Celestiaの7人はよく知らない。エルフ語で書かれたレチャンの原論文を読んだことがあるのだってニースくらいのものだろう。ただ、間世界対称律というアイデアの概要だけならば、7人全員が学院で当たり前に習ってきたことであり、あえて疑うようなアイデアではなかった。だから7人は、彼女たちが生まれ育ってきた世界・天上界が、異世界からみればフィクションである、という可能性を当たり前に感じられる。

7人にとって身近な“異世界”とはすなわち、視聴者たちがいる世界のことである。天上界からすれば、視聴者なるものはモノリス内に住まう言理の妖精が気まぐれに作り出した文字列に過ぎないのだが、視聴者たちの世界からすれば、Celestiaなるものはある種の職能を持った人間が創り出した影に過ぎないのだろう。そして、7人は自身の人生をリアルな体験としていつも感じ続けているが、この人生が同時に、どこか異世界の見も知らぬ人間がみる夢であったとしても、そこに何の矛盾もないのだ。たとえ夢が次の瞬間覚めてしまうとしても。

 

ニースがゆっくりと話し始める。

 

「虹色の便箋を開いたとき、私、ちょっと困ったんです。自分が何に困ったのか、そのときはよくわかりませんでしたが、いまわかったような気がします。空水彼方さんがこの世界から現実指標を奪っていったとして、『だから何?』なんですよね。この世界は最初からフィクションだったし、もうすぐ終わる気ですらいたんだから。空水彼方さんのゲームにのらなかったところで、私たちの人生と世界を取り巻く状況はさほど変わりはしない。ゲームに参加する意味がないっていうのはそういうことですよね、アシルシア先生?」

「んー、たぶんそういうことだと思う」

 

パリラが小首をかしげて言う。

 

「ならば、わたくしたちは空水彼方さんのことを、ただ相手にしなければいいのではないかしら。無視、までいかなくても、ゲームに乗る気がないということだけはっきり申し上げていれば、彼女は、わたくしたちが痛みを感じることもないほどすみやかに世界を終わらせてくださる可能性もありうるのでは?」

 

うるふ老師が答えた。

 

「私の知る限り、空水彼方って女は根っこのところはわりと効率厨だかんなー。君らがゲームに乗らないってわかったら、無駄に君らをいたぶるだけの関心もなく、この世界を速攻終わらせるだろうね」

「本当にそうなら、空水彼方さんには『あなたのゲームには乗らない』とだけお伝えする、ということでいいのではないでしょうか? もちろん、それで天上界が終わってしまって、これといった引退企画もできなかったとしたら、少しばかり地味な幕切れにはなってしまうかもしれません。でも、わたくしたちではない、あの空水彼方さんが勝手にお決めになった企画が最後の企画になってしまうよりかは、地味な幕切れになったほうがまだマシではないかと、わたくしは思いますわ。どうでしょう、みなさま? 彼女にサレンダーを告げるというのは?」

 

パリラの問いかけに、ツグミ、ツバメ、アリア、レイ、ニースの5人がためらいがちにうなずく。遅れてレンラーラが小さな声で言った。

 

「……私は……視聴者さんたちに迷惑がかからない方法であれば、賛成です」

 

Celestiaの意思がおおむねまとまろうというところでうるふ老師が口をはさむ。

 

「あー、ちょっとよろしいか? いや、これは全然憶測なんだけど、君たちが速攻ゲームを降りたとして、視聴者に迷惑が掛からないかどうかはよくわからない、というか、ガンガン迷惑がかかる気はする」

「……どうしてですか?」

「えーとな、君たちのその、虹色の便箋だけを見る限り、空水彼方ってえ女は世界を股にかけて存在しているっぽい。言い方を変えると、“異世界旅行者”って感じかね? でも、異世界旅行者なんてものがいたらどんな理不尽な現れ方をしてもよさそうなのに、彼女は私の書いた企画書を介して君たちの天上界に現れた。ひょっとすると……これはひょっとするとの域を出ないけど……空水彼方はフィクションから現実へのみ移動していく異世界旅行者なんじゃないのかね? 言い換えるなら、空水彼方が世界間を移動していく方向は決まっているんじゃないか、ってこと。だとしたらさ、君たちの世界が滅んだ後に空水彼方が向かうのは、君たちの大事な視聴者の住んでる世界なのかもしれないじゃん?」

「……それは困るかもしれません……」

「いやさ、もちろん、その視聴者だって君たちんとこの世界で生み出されたひとつのフィクションに過ぎないわけだからさ、べつに君たちの次に視聴者が滅んでもいいっちゃいいのよね」

「……いえ、やっぱり困ります。……視聴者さんたちの世界は……まだ滅んじゃいけないんです」

「?」

「……視聴者さんたちは……みんなが私たちみたいに満足したわけじゃないんです。……これからさき成し遂げたいことがあるひとがたくさんいるんです……」

 

アリアがレンラーラにたずねる。

 

「じゃあレンラーラは『ゲームを降りるのはやっぱりナシ』って感じかしら?」

「はっ、はいっ……ごめんなさい、意見をころころ変えて……」

「そんな、いいわよ。なんだか私も気が変わってきたもの」

「……アリアさんも……視聴者さんたちが心配ですか?」

「べ、べつに視聴者たちなんかどうでもいいわよ。ただ、あの空気読めない新人が向こうからふっかけてきたゲームをただ降りるのが気に食わないってだけ。あの子をコテンパンにしてやりたいだけなんだから」

「……」

「ごめんみんな、やっぱりサレンダーせずに戦ってみるっていうのはどうかしら?」

 

レンラーラとアリアを除いた5人が、口々に「そういう場合ならね」とか「2人が戦うなら」などと2人への賛意を口にする。

若干いぶかしげに眉をひそめたローチカ博士が口をはさむ。

 

「あー、こういうあいまいなアドバイスはあんまり言いたくねえんだがな、お前ら、手段と目的は明確にしといたほうがいいぜ。『視聴者の世界を滅ぼさない』か『空水彼方をコテンパンにする』か、どっちが目的でどっちが手段って明確にしといたほうがいい。どっちにせよすることはほとんど変わらないかもしれねえが、曖昧にしとくとここぞってとこで迷いが出るからな」

 

博士の言を聞いた7人は、顔を見合わせ、そして一瞬のちに全員が微笑する。そう、このときニースも微笑する。

それは少し不思議なことで、Celestiaの7人には、言葉を交わすことなく全員の意見を一致させなおかつ意見が一致していることがお互いにわかり、同時に微笑する、という瞬間が、まれではあるが存在した。Celestiaとかかわりの深いArtisanの3人でもまだ数回しか目にしたことのない、まれな瞬間がいまこのときも訪れている。

 

「どうやらハラは決まったらしいな。どっちに決めたのかは知らねえが」

 

7人を代表してツグミが答える。

 

「はい、私たちの方針は決まりました」

「いずれにせよ、空水彼方とは戦うわけだな」

「はい。さあ、ここからは作戦会議です」

 

方針が決まった7人は、そこからは作戦会議ということで、対空水彼方の大まかな戦略を決めていく。

やがて決まった戦略はこうだ。7人は、表面上は、空水彼方が決めたとおり、7日間かけて1日1人ずつが空水彼方と単独で戦闘する。単独での戦闘を有利に運ぶため、それぞれがそれぞれの戦闘の準備をする。しかし、7人が目指すのは、単独での勝利ではなく、あくまでチームとして1つの目的を達成することだ。7人は、単独戦闘の準備と並行して目的達成のための最終作戦を準備する。

さて、肝心の最終作戦の内容だが、これはなかなか決まらなかった。現状の彼女たちには、空水彼方という存在に対する知識があまりにも足りないのだ。

 

眉根を指で押さえながらツグミがいう。

 

「うーん、いまここで最終作戦の内容を決めるのは無理みたい。ちょっと不安だけど、7日間のなかで情報が集まり次第、最終作戦の内容を詰めていくことにしよう。みんな、各自の単独戦闘では、なるべく多く空水彼方の情報を引き出すよう努力して。そして、集まった情報の分析役が誰か必要だから……アリア、人の心の機微に敏感なあなたが敵の分析を行ってくれないかな」

「私が? あんなのの考えてることなんかわかんないわよ」

「そう? アリアが一番向いてるって、私は思うよ!」

「まあ、ツグミがそう言うんなら、やらないこともないわ」

「あと、ツバメちゃん。変身魔法もけっこうできたよね。分析役のアリアと相談しながら、空水彼方さんの能力を再現してみて欲しい。きっとみんなの単独戦闘の練習相手とかにもなれると思うから」

「私? 並の敵だったら変身魔法で再現できるけど、空水彼方さんの能力はさすがに規格外すぎて100%は再現できないよ」

「いや、空水彼方さんとツバメちゃんは両方、身体能力重視のタイプに見えるから、100%再現までいかなくても、要点をとらえた再現ができるよ」

「……がんばってみる」

「そして、情報が集まったら、最終作戦の細部を詰めていく。空水彼方さんの虚をつけるような、斬新で、緻密な作戦……ニース、明日から最終作戦の細部を詰めていくのはあなたにお願いしたい」

「私、か……。わかった、やってみる」

「期待しているよ!」

 

ここでうるふ老師が口をはさむ。

 

「あー、ちょっといいかね? 戦いながら空水彼方の情報を集めて、最終作戦を立てていこうっていうのはだいたい理解できたんだけどね、なんかちょっとそれじゃ足りないかもって思うのがさ、あの、虹色の便箋のことなんだよね」

「虹色の便箋?」

「そう。作者の私にはわかるんだけどね、空水彼方のことをいくら研究しても虹色の便箋のことはさっぱりわからないハズ。あれはあの子が自分で送ったものじゃないって感じがすごくするのよね。あれは異物。空水彼方とは別の人間が出してると思う」

「う、うーん? 空水彼方さんって、うるふ老師の想像の範疇にないことも平気で行うんですよね? うるふ老師が違和感を感じてるとしても、虹色の便箋の送り主が空水彼方さんじゃないって考える根拠にはあまりならないような気がするんですが」

「いや、あれはちょっと作者の想像を超えてるとかじゃなくて、根本的に空水彼方の在り方にはないモノなんだよな……」

「ちょっとよくわかりませんが、うるふ老師がそこまでいうなら、空水彼方さんの分析とはべつに虹色の便箋の分析も必要ですね。しかし、うるふ老師にとっても違和感のあるものをいったいどう調べれば……」

 

レンラーラがおずおずと手を挙げる。

 

「……あの、ちょっとだけ心当たりあります……私が虹色の便箋の情報を得られないか、がんばってみます」

「レンラーラ! お願い」

「……はい」

「これで、当面の戦略も固まってきたね」

 

アシルシア先生が言う。

 

「で、キミたちさ、役割分担も決まってきたみたいだけど、差し迫った今日の単独戦闘についてはどうするの? 誰でいくの? もう準備時間もそんなにないけど」

 

この言葉に、7人は思わず背筋をこわばらせる。彼女たちを緊張させるのは、死の恐怖でも戦いの恐怖でもない。ただ、少ない準備時間でどんな戦闘を演じれば、後に続くはずの仲間に有益な情報をもたらせるのか、その道筋が見えないことによってのみ、彼女たちは緊張する。

しかし、ツグミはつとめて緊張を見せずに言う。

 

「今日は、私がやります」

 

その場にいる全員が、いくばくかの驚きを込めてツグミを見た。

 

「……そうなんだ。どう、うまくいきそう?」

「正直言ってわかりません。空水彼方さんからなるべく多くの手札を引き出しながら戦って、あわよくば倒したい、とは思っています。でも、どうすればそうできるのか……。でも、思うんです。はっきり言って、今日の戦いにはほかのみんなが作戦を進めるための時間稼ぎという側面があると思います。ほら、“時間”稼ぎですからね、時間魔術師の私が一番適任じゃないですか?」

 

その言葉の最後には、わずかな震えが隠しきれていない。

 

3

その日の夕方、空水彼方とCelestiaとの間で短い打ち合わせの時間が持たれ、戦闘の細かいルールが決められた。

 

Celestiaは7日間それぞれの日の戦闘場所として、7つの半独立空間を事前に指定する。
また、基本的に戦闘時間は毎日19時から24時までの間とする。空水彼方は、戦闘時間のあいだ、Celestiaが指定した特定の半独立空間内に留まることを保証する。

また、空水彼方は、Celestiaメンバーに直接の危害を加えるのは戦闘時間のあいだに限ることを保証する。ただし、空水彼方は戦闘時間以外の時間でも自らの防衛に専念した行動ならばとることができる。

Celestiaとしては、戦闘時間以外の時間に、反撃できない空水彼方を襲撃するという方策を選ぶこともできる。しかし、空水彼方が冷静に述べ、Celestiaの7人も納得したのは、この方策はさほど得策ではないだろうということだ。

空水彼方は、デビュー配信のときに相対した程度の実力の7人に襲撃される程度であれば、たとえ反撃を封じられたとしても、19時間のあいだ身を守り続けることは十分に可能なのだ。本気で空水彼方の命を狙うのなら、7人はいまだ空水彼方に見せていない実力をみせるしかない。となると、7人としてはアドミンスキルを使うことによって空水彼方を倒すしかないわけだが、空水彼方としては、仮にどこか一つの半独立空間内で一人にアドミンスキルを使われたとしても、いつでも転移魔法でほかの半独立空間に移動して難を逃れることができる。Celestiaは、戦闘時間以外に空水彼方を襲撃して逃げ回られるよりも、確実にアドミンスキルを行使し続けられる状況である戦闘時間内に空水彼方に対決を挑むほうが、空水彼方を倒す可能性を高められるのだ。

また、Celestiaは、複数人で空水彼方を襲撃する道も、一人で空水彼方と対決する道も選ぶことができる。ただ、ある空間内においてアドミンスキルを行使して神のようにふるまえるのは一人までであることをふまえれば、アドミンスキルを使えないメンバーを戦闘に加わらせて無駄に殺害されるよりかは、一日につき戦闘に挑むメンバーを一人に絞って敗北時の損失を軽減するほうが得策であると、Celestiaの7人は無言のうちに想定していた。

つまり、Celestiaは、7日間、一日につき一人ずつが最大限の力を発揮して空水彼方と対決するしかないのだ。なお、メンバー全員のそれぞれ最大の力が戦闘において発揮されるということは、空水彼方の狙いでもあった。

 

7日間の戦闘場所は以下の通り指定された。

1日目、時間魔術師ツグミの半独立空間。

2日目、死霊術師レンラーラの半独立空間。

3日目、格闘家レイの半独立空間。

4日目、空間魔術師パリラの半独立空間。

5日目、催眠術師アリアの半独立空間。

6日目、魔法戦士ツバメの半独立空間。

7日目、神官ニースの半独立空間。

 

そして、打ち合わせから数時間がたち、ツグミの戦いが始まる。

 

4

いま、19時までの残り時間は5分を切ろうとしている。ここはツグミの半独立空間。CelestiaとArtisanが会議をしていたときは一様に青かった空も、いまや燃えるような赤から沈むような藍まで美しいグラデーションをみせている。東の空にはすでに数十の星が瞬いている。

空水彼方は、1km平方ほどの範囲に断崖も傾斜もない開けた空間の中央に立って、遠く東の地平線を見ている。まばたきごとに空の色は深みを増し、星の数は増えていくが、空水彼方は特段それらに感動しているわけではない。多くの世界を渡り歩いてきた彼女にとってみれば、こんな星空はありふれた景色のひとつにすぎない。彼女が東の地平線を見ているのは、予感があったからだ。彼女の敵が東から現れるという予感が。

やはり、東の方角に、ゆっくりと歩いて空水彼方のほうへ向かってくる人影が見えはじめる。その人影は、白地に金の刺繡をほどこしたローブをまとい、手には木製の大ぶりな杖を握っている。時間魔術師の正装に身を包んだツグミだ。ツグミは空水彼方のそばまでくると、十年来の友人のように気楽な調子で挨拶をする。

 

「こんばんは。まだ約束の時間には早いのに、律儀な方なんですね」

「19時まで入らないほうがよかったか? 戦うための準備が必要ならよそで待つが」

「いえ、いいんです。私、デートとかでも、約束の時間より早く来る人のほうがタイプですよ、空水彼方さん」

「彼方でいい」

「では、彼方。今は星を見ていたんですか?」

「まあ、星もみていた」

「今晩はどの星もきれいですよね、特に月なんかとても……おっと」

「きれいも何も、君が思い通りにできるんじゃないのか、星の輝きぐらい」

「空間を占める何もかもを思い通りにしようとしたら、心がいくつあっても足りませんよ。どこの空間でも起こっておかしくないようなこと……星座の規則的な運行とか、天気のランダムな変化とかは、ローチカ博士っていう方が事前に組んでくださったパラメータに従って動いています。管理者である私も、このパラメータを自分でいじることはめったにありません。他方で、この空間だけに実装された特別な機能に関しては、私たちは、自分の得意な魔法を介することで、いつでも任意に発動することができます。それがアドミンスキル」

「なるほど。しかし、私はつい気軽に質問してしまったが、君らは自分自身の有利を守るために、質問への回答を拒否しても構わないからな?」

「なに、アドミンスキルが何なのかってことくらい、わかっていても私たちのアドバンテージは変わりませんから。非公式wikiにも載ってる設定ですしね」

「余計なお世話だったか、ならいいが」

 

ツグミは声を潜めて、彼方にだけかろうじて聞こえる声でつぶやく。

 

「でも、今日の勝負を分けるとしたらきっと、非公式wikiにも載ってない部分でしょうね……」

「期待しておこう」

 

ツグミは突然飛び退って彼方と距離を置き、いつのまにか地面に置かれていたモノリスの正面に立つ。モノリスの画面上では、ツグミの配信の開始を……ひょっとすると最後になるかもしれない配信の開始を待つ視聴者たちのコメントがすでに高速で流れている。

 

「さあ、時間です」

 

ツグミはモノリスの画面中央のボタンにタッチする。岩場に立つツグミと彼方の姿が画面に映り、同時に画面下方のデジタル時計が“19:00”を表示する。
戦闘開始。そして同時に、配信開始。

 

彼方からツグミまでの距離は10mほど。この岩場の環境であれば、彼方ならば3歩で到達できるだろう。即座に間合いを詰めるか、それともしばらく様子を見るか? しかし先手はツグミのほうが早い。

ツグミは杖を大きく振って宙に弧を描く。言うまでもなく、なんらかの魔法発動のトリガーだ。彼方は様子見を選び、半身に構えて攻撃に備える。

0.5秒後、彼方の耳は上空からかすかな風切り音をとらえる。握りこぶし大の石が、ツグミお得意の浮遊魔法かなにかで空高く舞いあげられ、彼方に向かってまっすぐ落下してきているのだ。

彼方はなんの予備動作もなく、詠唱もなく、石に一瞥をくれることすらなく、件の石に追加の浮遊魔法をかける。軌道からそれた石が彼方の背後へ落下。ばちり、と鋭い音を立てて砕け散る。

 

彼方は怪訝そうに目を細めてツグミのほうを見やる。

 

「前と同じ技でかかってきたのか? より高い場所からの落下なら邪魔されないとでも?」

 

対するツグミはいたずらっ子のように微笑んだ。

 

「期待外れだったならごめんなさい、以前あなたに仕掛けたのと同じ技です。ものを浮かして落とすだけの魔法……でも、今回はこんなのをあと10万個は落とします」

「ほう?」

 

ツグミが再度杖を振ると、大小5個ほどの石が上空から降ってくる。もちろん、彼方をめがけて。彼方はやはり一瞥もせず、浮遊魔法の重ね掛けで石の軌道をすべてそらす。
しかし、間髪入れず、ツグミはより素早く、より鋭く、宙にいくつもの弧を描く。すると、20個近い石が彼方をめがけて降ってくる。彼方は石の軌道をひとつひとつ魔法でそらすことをやめ、右に左にステップして石を避けていく。彼方の動きにあわせて長い銀髪がばさりと振り乱される。

ツグミは杖を振り続け、数え切れない弧を宙に描いていく。もはや杖の先端は常人には見えず、ただ空気を切り裂く音が聞こえるのみ。そうしたとき、1分間で100個を超えるほどの石が間断なく彼方に降り注ぐ。真上からばかりでなく、ほとんど真横から彼方のこめかみにとびこもうとする石すら何百とある。彼方はもはや石を避けることすらしない。両手をかたく握った上から氷結魔法をかけ、氷の即席ガントレットを仕立てると、向かってくる石を力の限り殴り落としていく。

1分間に100個と言っても、律儀に全ての石を殴り落とす必要はない。比較的小さい石・体の輪郭をかすめるだけの石を無視すれば、秒間1発もパンチできればダメージを防ぐには十分だ。

しかし、それではただダメージを防げるだけではある。石つぶての雨の向こうにかすかに見えるツグミは、杖をふる速度をますます速くしており、それに従って石つぶての密度も高まっていくようだ。10万個の石つぶてが落ちるまで、もう石つぶてが途切れることも、勢いを弱めることもないのだろう。致命傷となる石つぶてを殴り落とし続けるだけでは、1000個の石つぶてをしのぐより先にツグミの勢いに押し負けてしまう。それに、たとえ10万個の石つぶてを無事しのぎ切れるとしても、砕いた石つぶての破片で彼方は生き埋めになってしまう。

 

見る限り、ツグミが使っている魔法はいくつもの世界に存在する平凡な浮遊魔法に相違なかったし、それは彼方にも使えるものだ。ただ、現在、ツグミの魔法は、彼方がじかに目にしても真似できず、理解もできない何らかの手段で大量に並列処理されている。そして、その真似のできなさ・理解のできなさこそは、彼方とツグミとの根本的な“権限”の違いに起因するものとみて相違ないのだ。

そう、この半独立空間の中に限って浮遊魔法を大量に並列処理する、それがツグミのアドミンスキルだった。

 

「単純だが、効果はあるな。なにより私に真似できない。そういう攻撃は珍しい」

「おほめにあずかり光栄です。でも、真似できなくても対処はできる、違いますか?」

「違わない。君を殴ってその攻撃を止めさせる」

 

彼方は、これ以上石つぶての雨が勢いを増す前に、前進してツグミを直接叩くことを選ぶ。地面は粗い砕石で覆われ、ローラーブレードはほとんど機能しなくなっているが、単純な駆け足ならば石の雨から身を守りながらでもできる。

彼方が駆け始めると、ツグミも杖を振り続けながら後退を始める。

 

「やはり、これだけではあなたの歩みは止められませんね……。ギアをひとつあげていきますよ」

「陳腐なことを!」

 

ツグミは瞬きの間にも満たないほんの一瞬、杖を止めると、即、それまでを上回る速度で杖を振り始める。先ほどまでは複雑な弧を描いていた杖は、こんどはひどく単純に、ツグミの胸の前で時計回りに回るだけだ。

彼方はそのとき、かすかな違和感を感じる。数分前に、全く同じ順番と角度で飛び込んできた一連の石つぶてをパンチで処理したような、不確かな記憶。

最初、単なるデジャヴかとも思ったが、同じ違和感を断続的に5秒間感じたところで確信が生まれる。この石の雨は確かに、数分前に飛んできた順番と角度を再現している。ツグミは、瞬間瞬間に新たな攻撃パターンをランダムに作り続けることをやめ、同一パターンの反復を始めたのだ。

彼方は数分前の自分の動きを再現、またはブラッシュアップして、二巡目の石つぶてに対処する。そうこうしているうちに石つぶての雨は三巡目、四巡目の再現に入り、彼方の対処能力は相対的に向上していく。ツグミと彼女の世界の処理能力が限界に到達してしまい、新しい攻撃パターンを創造できなくなったのか? 最初はそう考えた彼方だったが、やがて、ツグミの能力は限界に達したわけではなく、単に戦術を転換していただけだったということを悟る。

一連のパターンは、五巡目、六巡目、七巡目……と回数を重ねるに従い、より短い時間で再現されているのだ。それは、石つぶてが落ちてくる頻度が増加しているということだけでなく、落ちる速度そのものが高まっているということさえ意味している。およそ正常な重力のはたらく空間ではありえない、落下現象全体の加速。仮想世界を管理する“時間魔術師”ならではのインチキ。

十巡目を超えたあたりから、同じパターンに対処することによる彼方の“慣れ”を、落下現象の加速が上回るようになる。彼方は、先ほどまでなら容易に殴り落していたサイズの石つぶてを撃ち漏らし、身体にいくつかのかすり傷を作り始める。ますます激しく銀髪を振り乱し、額から汗の粒が散り、太陽の光に照らされてきらめく。気づけば、東の空にはすでに太陽が昇りつつあった。その、あまりにも早い日の出を背中にして、杖をますます早く回し続けるツグミが語りかける。

 

「わかりましたか。これが、時間魔術師と呼ばれる私の戦い方。あなたの想像する時間魔術とはだいぶ違ったかもしれませんが」

 

彼方はテンポの良い呼吸に小さなため息を挟んで、これに応える。

 

「そうだな。正直なところ、期待外れだ●●●●●

「……これでもまだ足りませんか」

「私はこんな、ただ大規模なだけの魔法ではなく、本物の時間魔術を目にしたいと思っている。君は“ツグミ”だから多少は期待していたんだが。さあ、君の“時間魔術”がこの程度のものなら、スパーリングはそろそろ終わりにしようか。体も暖まってきたところだしな」

 

言い放つと、彼方は右の拳を肩の上に構え、たっぷり1秒はかけて息を吸い込むと、全身の気合と魔法を込めて地面を殴りつける。この一撃をはなつ間に致命傷となりうる石つぶてが来ることはない。十巡以上も目にしていれば、弾幕が薄いタイミングなど見逃すはずもない。

渾身の一撃を加えると、地面は一瞬にして分厚い氷で覆われる。氷結魔法を込めた拳をたたきこんだことで、彼方を中心にした半径約1kmの範囲の地面が瞬時に凍り付いたのだ。彼方は飛来する石つぶてを殴り落とす作業を即再開するのだが、石つぶての雨はみるみるうちにその頻度を低下させ、10秒もすると完全に停止する。

 

「これで石の雨が止んだところをみると、君は、地面の石を適当に浮かせて適当に投げつけていたらしいな。そこら一帯の石ころは地面に縫い付けさせてもらったから、もうあんな流星雨はできないはずだ。しかし、ひょっとすると君も凍結に巻き込まれるかと思っていたが、そこまで判断が遅いわけではなかったようだ」

 

彼方が拳を振り上げた瞬間に直感的に危機を悟ったツグミは、手近にあったモノリスを急速に宙に浮かせ、自身もその上に飛び乗っていた。この一瞬の判断が功を奏し、ツグミは地面と一緒に凍結することを免れ、モノリスに乗ったまま数百メートルの上空に舞い上がっている。見渡す限り氷に覆われた地面を見下ろして、その表情には確かな焦りが混じる。

 

「一瞬でこれほどの範囲の石つぶてを封じるとは……! しかし、まだ動かせる石は残っています」

 

ツグミは戦略を再度転換する。杖を複雑に振って宙にいくつもの弧を描き、新たな攻撃パターンで彼方に石つぶてを落とすのだ。

広範囲の地面が凍結されたことで、一度に彼方に襲い掛かる石つぶては片手で収まる数にまで減ってしまっている。しかし、ツグミはその少ない石つぶてをより速く、複雑な軌道で彼方に接近させる。もはや浮遊や落下というべきではない、怒り狂ったスズメバチの集団のように曲がりくねった軌跡が彼方を包囲する。

激しく、鋭く投げつけられる複数の石つぶて。しかし彼方の態度に焦りはない。

 

「スパーリングは終わりだと言わなかったか?」

 

彼方は一番に接近してきた石つぶてを両手で受け止めると、雷のような速さでツグミに向けて投げ返す。ツグミはすんでのところでモノリスの上から飛びのき、この急な反撃を避ける。瞬間、落下しながら、いまだ氷に覆われきっていない岩を見繕い、浮遊魔法で宙へ舞い上がらせて自分の新たな足場にする。

しかし、彼方は間髪を入れずに2発目、3発目の石つぶても受け止めて投げ返す。ツグミは瞬時にいくつもの岩とモノリスに浮遊魔法をかけて足場にし、空中を飛び移り続けて避けるしかない。

ツグミは足場の確保に気をとられ、彼方への攻撃パターンがやや散漫になる。この隙を見逃す彼方ではない。思い切り踏み込んだ一歩で石つぶての包囲を抜け、続く三歩でツグミのほうへ一挙に接近。その勢いのまま、凍り付いた大地を蹴って跳躍。最後に、ツグミの周りで浮いたり沈んだりしている岩で三角跳びを三回。ついに、十メートルほどの高さで滞空しているツグミの、手が届くほどの距離まで迫る。

彼方は、ツグミの顔の真ん中へ膝をたたきこもうとする。

 

「これで王手だ」

「一手遅いです」

 

膝蹴りがきまる直前、彼方の視界が突如ブラックアウトする。煙幕を張ったのか、それとも目隠しでもしてきたか? 彼方の脳裡にいくつかの可能性がよぎるが、膝蹴り自体はためらわず敢行する。

そして、膝がツグミの顔をかすめる感触を覚える。しかし命中ではない。おそらくツグミは体をひねって命中を避けたのだ。視界さえあれば、彼方もツグミの動きに応じて膝の角度を微修正することで命中をもぎ取っただろうが、視界が奪われるほうが早かった。なるほど、一手遅い。

 

ツグミを見失ったまま、彼方は十メートルの高さから地面に着地する。着地後まもなく、石つぶてが再度彼方を包囲して迫ってくるので、彼方は音を頼りにこれらを殴り落して対処する。殴り落としながら、すぐに彼方は気づく。視界がなくなったのは、煙幕のせいでも目隠しのせいでもない。ただ、通常はあり得ない異常な速度で太陽が沈んで夜が来ただけのことだったのだ。彼方の視覚は正常だし、空には星の光もあるので、すぐに目が慣れて視界も戻ってくる。

やまない石つぶてに対処しながら、彼方は周囲を見回す。すると、彼方から100mほど離れたところに、杖を振り回し続けているツグミが見つかる。彼方は再び距離を詰めようとするが、走りだそうとしたところで視界がホワイトアウトし、ツグミを見失う。今度は急激に日が昇ったのだ、と彼方は悟り、目を細めて視界を回復させるのだが、回復したときにはツグミはすでに違う場所で杖を振っている。

 

「管理者権限で太陽を動かして目くらましか。贅沢なことを」

「世界を渡り歩いてきたそうですが、こんな戦い方をする人はいなかったでしょう」

「そうだな」

 

精一杯の挑発を向けるツグミであったが、呼吸はわずかに粗くなり、足元も多少ふらついていることを隠しきれていない。身体動作を伴う魔法を連続で行使し続けたことで、その疲労は限界に近付いている。しかし皮肉なことだ、ツグミよりもずっと激しい動きを続けてきた彼方のほうが余力を残しているようにみえる。ツグミはここで攻撃の手を緩めるわけにはいかない。せめて一枚でも多く、彼方に手札を吐き出させなければ!

ツグミは、一分前、一秒前よりもより速く、鋭く、杖を振る。ツグミ自身にも想像できなかったほどの速さで動く杖に内心驚きすらする。石つぶての群れも、太陽も、月も、速度と軌道にランダムな変化がつけられながらその平均速度を限りなく上昇させていく。世界全体が激しく明滅するなかで、彼方に間断なく石つぶてが降り注ぐ。

攻撃と目くらましの双方が密度を増していくなかで、彼方は、つい先ほどのようなツグミへの接近を試みることをやめる。半目を開けて仁王立ちし、動きは最小限、向かってきた石つぶてをたたき落とすだけ。

ツグミは考える、私はついに彼方を追いつめたのか? 彼方は打つ手がなくなって消極的な防衛に専念するようになったのか? いや、あの人物がこんなに簡単に底を見せるとは思えない。ツグミは懸命に呼吸の乱れを隠しながら、彼方を挑発する。

 

「必殺技でもチャージしているんですか? もし面白い技をこれから使うつもりなら、私がこのまま押し切ってしまわないほうがいいですかね?」

「はったりが下手だな。押しているのは君じゃない、私だ。それに、私のこれは必殺技なんてものではなく、君の技への対策として思いついた間に合わせの技だ。あと、この技にチャージ時間などはなく、今しがたほぼ決まったところだ」

「はい?」

 

彼方の視線が空を示したので、ツグミも、彼方に集中していた注意の範囲を上空へと広げる。するとどうしたことか、空のかなり高い部分に虹色に光る雲が広がっていて、地上へ幻想的な光を落としている。空全体は、ツグミの“贅沢な目くらまし”によってなおも明滅しているのだが、雲が虹色に輝き続けているので、目くらましの効果はほとんど失われている。

 

「目くらましの効果を緩和するだけのことだが、こちらもいささか贅沢な手を使わせてもらったぜ」

「虹色の雲……世界を渡る旅人としての能力ですか」

「いや、そこまで贅沢なものじゃない」

 

彼方は、氷結魔法を応用し、高空の気温を極端に下げたのだ。すると、空のかなり高い位置に粒の均一な雲ができ、地平線の下にある太陽の光を強く反射する鏡となる。これによって、日の出前と日没後に太陽の光が地上に届く時間にマージンができ、目くらましの効果が極端に薄くなる。

つまり彼方は、極地などでみられる、真珠母雲と言われる現象を再現したのだ。ただ、彼方の脳裡にあったのは「高空に鏡を作ればいい」という無骨なアイデアのみなのだが。

 

「もう、急に夜が来たところでさほど暗くはならないぜ。さあ、もう一度王手だ」

 

彼方の目がしかと開かれ、赤みがかった瞳がツグミを見つめる。その瞳に気圧されて、ツグミは一瞬ひるむ。同時に、彼方は向かってきた石つぶてを掴んでツグミのほうへ投げ返し始める。つい数秒前と大して変わらないやり取りのはずだったが、着々と体力を失ってきたツグミの回避動作が今度は少し遅かった。彼方が投げつけた石つぶての一個がツグミの右手に激突。拳の骨が砕ける音と共に杖がツグミの手を離れて飛んでいく。
ツグミは一瞬だけ、しまった、という顔をして、即、飛んで行った杖を拾いに行く。ツグミの手から杖が離れたこの一瞬に、彼方は当然、石つぶての包囲を抜けてツグミの首をとるために接近している。

ツグミは確信する、自分にはもう防御に使える手札は残っていない、次の彼方の攻撃で確実に自分は死ぬ。だから、最後の魔法を使うことを決める。自分の愛する世界に別れを告げるための特別な魔法を使うときが来たのだ。

 

ツグミは、左手で杖を拾い、素早く、大きく円を描く。描き切ったのとほぼ同時に、彼方の飛び膝蹴りがツグミの後頭部に直撃する。

ツグミが地面にうつぶせに叩きつけられ、少し遅れて、血だまりが広がる。頭蓋骨が砕けている。即死だ。

 

彼方は、軽く身構えたまま、ツグミの死体を見つめる。手ごたえは十分だったが、油断はできない。この敵は、時間魔術に適性を持つことが多い“ツグミ”の個体なのだ。殺したとは言っても、時間逆行レトログレードなどの方法を使って逆転を試みてくる可能性はある。たっぷり1分間は死体を見つめたあと、彼方はため息をついて戦闘態勢を解く。何とはなく、虹色に光る空を見上げる。独り言が口をついて出る。

 

「最後まで期待はずれだったな……。時間魔術師を名乗ってはいたが、時間魔術らしいものは全く使わない。代わりに、平凡な浮遊魔法をそこそこ大規模に使ってくるだけの敵だ。天体を動かすのさえ、時間的な処理でなく物理的な処理を用いてきた●●●●●●●●●●●●ときには落胆を通り越して笑ってしまいそうだった。そもそも、本当に時間に干渉できるのなら、私に関知されないように時間を加速して、戦闘時間の終わりを宣告するという戦略をとればよかった。こっちはその戦略のための対策も用意しておいたというのに……。まったく、君は本当にツグミの個体なのか?」

 

彼方はつま先でツグミの肩を小突くが、当然ツグミが何か答えることはない。

 

「まあ、看板倒れの敵にがっかりさせられるのもよくあることだ。とりあえずは、約束の12時になるまでここで天体観測でもするほかなさそうだな……おい、あの月は!」

 

そのとき、彼方は珍しいことに全身で驚愕していた。

 

「相討ち狙いかよ!」

 

彼方が見上げる空の天辺には、真っ赤な月が煌々と光っている。そして、彼方が驚くのはその月の大きさ。多くの世界で見られる月の20倍近い大きさの満月がそこでは輝いている。なおかつ、大きさが毎秒増している。

 

ツグミは死の直前、最後の魔法として、月を地表に落下させる術式を行使したのだ。月が落ちてくれば、無論、彼方が消滅するだけではなく、ツグミ自身の身体や、半独立空間全体の環境も決定的に破壊されることになる。文字通りの最期の手段。

 

彼方は、月が落下してくるまでの時間を瞬時に目算する。この月の直径が仮に3500km程度で、いまの加速を継続するとすれば、地表に激突するまではおそらく3分程度。ツグミがかけた魔法の内容によってはもっと速く激突することも考えらえる。月が落下するとなれば、この大地のどこにいようが命はない。一刻も早くこの惑星からの脱出が必要だ。

彼方は、地面の凍結を解除し、その地面に半ば埋まっていた直径100mほどの岩塊を見つけると、岩塊の上に乗り、浮遊魔法をかけて浮かせる。ツグミがアドミンスキルを介して行ったような浮遊魔法の高速並列処理は彼方にもできない……おそらくどの世界の人類にもできないが、意識を集中して100m程度の岩塊を浮かせる程度であれば彼方にも十分可能だ。

あと2分。上向きの加速をかけて、自分ごと岩塊を空へ舞い上がらせる。数kmも上昇すると空気は薄く、紫外線は強くなってくるので、彼方はデモンドゥームを出現させて自身の周囲に半透明なドーム状の防護壁を展開する。デモンドゥームの機能を使えば、宇宙空間でも数時間の生命維持に支障はないはずだ。

あと1分。岩塊の進行方向を多少月に寄せて修正する。適当な目測での軌道計算だが、落下しつつある月の周囲でスイングバイのようなことをすれば、効率的にこの惑星の重力圏から脱出できるはずだ。そして、すぐに月の裏側が見えてくる。

月が地表に着弾する。彼方が乗っている岩塊は、着弾の瞬間、ちょうど月の影に位置して、着弾の衝撃の余波を浴びることを免れる。そして、岩塊はその惑星と月から順調に遠ざかっていく。脱出は成功した。

 

彼方は、防御壁越しに崩壊していく惑星を見つめていた。着弾地点を中心に、マグマの津波が波紋のように広がり、ほどなくして地表を覆いつくす。着弾した月のほうは、はやくも輪郭を崩して惑星のなかに溶けていこうとしている。数分前までツグミと彼方が死闘を演じていた場所に、いまは巨大な真っ赤な火の玉が虚空に浮かんでいるだけだ。

 

「相討ち狙いというより、天体ショーのチケットをプレゼントといったところだったか」

 

彼方が崩壊した惑星から目をそらすと、彼方のすぐそばに、例のモノリスが横倒しになっているのを見つけた。戦いのなかでどこをどう転がってここまで来たのか、あちこちにヒビや欠けが目立つ。しかし、配信はまだ続いている様子だった。倒れた位置と方向が幸運で、いまは崩壊した惑星がちょうど画面の真ん中に大映しになっている。コメント欄には、いましがた行われた大勝負に対する視聴者たちの感想のコメントがスクロールしていく。

 

「いや、私にではない、彼らへのプレゼントだな、自意識過剰だった」

 

彼方はモノリスに触れて、配信を終了する。

Once Upon a Time in a Multiverse

1

「こんにちは、こんにちは! 本日も準備万端、計画通り、バーチャル美少女神官のニースです。みなさん、お元気でしたか?」

 

雲一つない青空の下、白茶けた砂地が広がっているだけのごくごく簡素な風景。そんな風景を背にして、眼鏡をかけた神官服の美少女が画面に向けて手を振っている。彼女の青っぽい髪はトップでポニーテールにまとめられていて、彼女が手を振るのにあわせて少し揺れる。親しげな口調としぐさの割に、彼女の表情は真顔のままだ。

 

「本日は雑談配信ということで。事前に予告していた通り、うん、“計画通り”、に! 現在19時00分から19時30分まで、最近あったことのお話とか、視聴者さんからの質問に答えたりとか、していきたいと思います。ちょっと短めの配信にはなるけど、ぜひ最後までよろしくお願いします! では、まずは雑談というか、この前のツグミと軍人将棋をやった配信、覚えてますか? あの配信後にちょっと面白いことがあって……」

 

彼女は控えめな身振り手振りを交えながら、友人であるツグミとともに先週経験したちょっとしたエピソードを話し始める。ツグミがインターネット対戦のボードゲームにハマり、パソコン画面上でプレイするのには飽き足らなくなって実際のボードをネット通販で購入したのだがそのボードはツグミが想像していた二倍以上の大きさで……といった他愛のない話。他愛のない話ではあっても、彼女が配信外でも友人と当たり前に日々を過ごしていることは視聴者達に興味深いことらしく、数え切れないコメントが飛んでくる。

 

――ツグミちゃん災難
――めっちゃハマっとるやん
――ニースは盤のサイズ知ってただろ教えたれや
――ツグミちゃんぽい
――仲良さそうで何より

 

ニースが話し続けながらコメント欄を流し見ると、彼女が『こんなコメントが来るだろう』と事前に予期していた内容のコメントがちょうど目に入る。さも偶然みつけたコメントを拾うように、自然に話題を進めていく。

 

「……あ、『教えたれや』ですか? いや、たしかに私ボード持ってるんで、ツグミ、ボードの大きさ勘違いしてるなって薄々勘づいてはいたんですよね。でも私、ついいたずら心がはたらいて……」

 

彼女がコメントを拾って話題を進めると、またその話題に対してコメントが飛んでくる。そんなコメントのなかには、またも彼女が予期していた内容のコメントがあり、彼女はそのコメントを拾って話題を進めていく。すべての話題とその展開は、ニースが事前に考えておいた台本――十数本のパターンに分岐しているものだが――におおむね沿ったものだった。しかし、視聴者にはありふれて無計画な、かざらない“雑談”にみえている。ニースは内心ほくそ笑む……よしよし、今日も計画通り。

 

AIたちが彷徨する電脳世界や、魔法使いたちが跳梁する中世風ファンタジー、あるいは美少女たちが跋扈する高校。どこかで見たことのある・聞いたことのある異世界から、動画を配信する人びとというのがいる。ある世界では、そんな人びとはVtuberと呼ばれていて、この美少女神官のニースもそのVtuberの一人だ。

彼女は、7人の美少女魔法使いによるVtuberユニットであるCelestiaセレスティアの一人だ。Celestiaはビデオゲーム、テーブルゲーム、パーティーゲームを含めた幅広いゲームをプレイしたり紹介したりする配信企画をウリにしたユニットであり、そのなかでニースは主にTRPGリプレイの配信を頻繫に行うことを特色にしていた。

Celestiaは5年ほど前のデビューから途切れることなく活動を続けてきており、その活動実績に伴って人気も順調に伸ばしていた。いまでは、Vtuberのトップ20にも名を連ねるかもしれない、という程の人気を博していた彼女たちだったが、はたしてそんな日々も終わろうとしていた。

 

「……雑談はもうこんなものでいいですか? いえ今日はね、視聴者からの質問コーナーもやるって予告していましたから。そろそろ質問も受け付けていこうかなと。コメント欄から直接ぶつけていただいて」

 

――やっぱり解散するの?
――セレスティアのなかで誰かソロで残ったりしないの
――残ってほしい
――本人たちが決めることだろうから……
――解散? 引退?

 

「はい、やっぱり最初はその話題になりますよね。解散はね、これは申し訳ないですが、7人で話し合って決めたので、解散はしますし、全員引退です。時期はまだ……時期はまだかっちりとは決めてないですけど、だいたい2か月後を目処にしてますが、プラスマイナス2ヶ月はありうるかも、ですね」

 

数日前、彼女たちCelestiaは、近いうちにに解散及び全員引退する予定であると発表したばかりだった。

もちろん、人気を伸ばし続けていた彼女たちの突然の引退表明ともなると、いったいどんな事情があって引退しようというのか、その理由をあれやこれやと憶測する噂がファンの間では飛び交うことになった。経済事情の悪化とか、メンバー間の不仲とか、暗い理由を想定する噂も多い。しかし実際のところ、引退というのは、彼女たちにとってはごく自然な選択肢であり、7人全員が望んで出した結論だった。

 

「なんでですかってSNSでもやっぱり訊かれてるんですけど、これは単純に、7人とも自分の目標を達成したからっていう理由だし、それ以外にないですね。ご存知の視聴者さんもいますよね、私たち7人は全員、チャンネルを開設するときに各自目標を立てました……『個人チャンネルの登録者100万人』とか、『平均再生数を50万回以上にする』とか、『KSDのレートで週間1位獲る』とか……。7人とも目標はバラバラでしたけど、Celestiaとして達成するって決めて、7人とも無事達成したので、ダラダラ続けるいわれはないわけです」

 

――マジ?

 

「マジです。配信はじめる前に考えてた目標は達成したので、あとはやることはないです。ただ、私たちのことを応援してくれる視聴者さんがこれだけ集まってくれる、みたいなことは、目標を立てた頃には想像もしてなかったことではあります。だから……だからなのか、わからないですけど、引退直前の配信はとことん視聴者さんたちのための企画をなにかしら用意しようと思っています」

 

――なに?
――うれしい
――おお
――期待

 

「まだぜんぜん検討中なんですけど、Artisanアーチザンのうるふ老師にいつもみたいに面白い企画を練ってもらう予定でいるので、乞うご期待、ということで……おや、もうこんな時間? もっと色々話す気だったのに……」

 

これは噓だ。すべてのアドリブも、コメントも、ニースが用意した台本を逸脱するものではなかった。

 

「ではでは、この枠はこのへんで。お疲れ様です」

 

エンディングテーマが流れ、画面がフェードアウトしていく。音と映像が完全に消えると同時に配信枠が終了、ここまでぴったり30分00秒00。ニースのチャンネルの動画は、たいていキリのいい時間に終了する。これはCelestiaきっての変人であるニースの異様なこだわりによるものであった。

 

2

その日も予定通りに配信を終えたニースは、満足げに鼻を鳴らしながら、しかし顔は真顔のまま、表面に刻まれたルーンをタップして配信用モノリスの励起状態を終了させる。

どうも、ニースが配信で視聴者を介して伝え聞くところによれば、彼女たち愛用の配信用モノリスのはたらきは、視聴者たちの世界で言う“パソコン”と実によく似ている。それで、ニースが視聴者たちに対してモノリスのはたらきを説明すればするほど、視聴者にとってはへたくそなギャグに聞こえるのだという。そんな偶然の一致を知って、最初こそニースも面食らったが、やがてそこまで不思議なことでもないと思うようになった。ニースが学生時代に講義を受けた『想像力制限公理』やら『間世界対称律』やらを思い起こせば、およそ異世界というものがわれわれ凡人にも容易に想像できる事物で占められていたとしても不思議はない。

より驚くべきは、およそ想像しえない突飛な事物を創造する才能よりも、誰にでも想像できるモチーフの組み合わせで奇妙な状況を作り出す才能のほうにあるのだ。ニースはそんなことを思いながら、モノリスの脇のマホガニー製サイドテーブルから一巻の書類を取り上げる。書類は、先日うるふ老師からCelestiaの7人に向けて送られてきた引退企画の企画書である。羊皮紙1巻に10種類の企画案の概要がそれぞれ大雑把に書かれているだけの、企画書としてはかなり簡単なもの、あくまで初期案にすぎないものであったが、この初期案を読んで7人は大いに笑ったものだった。7人の間で軽く感想を共有したとき、とくに話題に上ったのは、バックストーリーばかり異様に詳細に述べられているある企画案……ここから遠く離れたとある電脳世界に、銀髪紅眼の美少女インベーダーが突然現れて世界全体に対して宣戦布告し、体術・電子兵器・銃火器・魔法などなどを総動員して実力者を次々に倒し、ついには世界ごと滅ぼして、次にはCelestiaが暮らす天上界セレスティアルワールドの崩壊をもくろむ、はたしてCelestiaの7人はこのインベーダーを止められるのか?『最終章・Celestia死闘篇』とかいう企画案だった。うるふ老師がこんな企画案をふざけて書いているのか大真面目に書いているかはCelestiaの誰にもわかりはしなかったが、はたして7人の好みに合致したシナリオではあった。視聴者のため、華々しい引退企画を演出しようというのであれば、バトル路線というのは悪くない選択肢ではあるのだ。

 

まあ、10個の案のうちどの企画にするにせよ、すべては7人で時間をかけて話し合って決めること、じっくり決めていこう。そんなことを思いながら、ニースは企画書をサイドテーブルに戻そうと手を伸ばしたのだが。

手を伸ばした先のサイドテーブルには、ニースが置いた覚えのない奇妙な封筒がのっかっていた。それは、ゆっくりと色を遷移させていく虹色で全面が染められた封筒。それは、開封されるのを待っているかのような、いや、開封される未来がすでに決定されているかのような、異様な存在感を放つ封筒。

その存在感の異様さに一抹の不安を覚えながらも、しかし開封する以外の道など選べないニースは、企画書を床にうっちゃって封筒をサイドテーブルから取り上げ、開封した。なかにはこれまた虹色の便箋が入っていて、この便箋にはただ一文が書かれていた。

 

『世界指標を賭けたゲームに招待します。』

 

ニースは自分でもなにか分からない理由で、この一文に困惑した。

一文の意味が分からなかったからではない。この一文が意味するところははっきりとわかっている。

むしろ、この一文の意味がわかってしまうというところに、彼女の困惑の理由があるように彼女には思われた。彼女は考える、自分はいったい何に困惑しているのか?

 

考える彼女をよそに、モノリスが自動的に励起状態に入り、天上界のどこかで誰かがゲリラで配信枠を取得したことを知らせてくる。続けて、モノリスは自動でその配信を視聴し始める。

そして、すぐにニースは驚くことになる。

 

3

天井も壁も床すらも見えない、上下左右前後どちらを向いても真っ白な空間。銀髪紅眼の美少女は、彼女自身も気づかないうちにそんな空間に立っていた。

それは彼女にとって驚くべきことではなかった。彼女はそこがどこなのか知らなかったが、しかし自分が何のために、どうやってそこまで来たかはよくわかっていた。彼女はいつでも、自分が何のために、どうやって目的地に到達するのかをよくわかっていた。

 

彼女があたりをうかがうと、真っ白な空間のなかにぽつりと、大小一組の岩塊が置かれているのを見つけた。大きさは、小さい方は膝より少し高い程度、大きい方は胸より少し高い程度だろうか。形は、大雑把にみれば縦長の直方体といったところだが、ちょうど腰かけたり肘をついたりするのにちょうどいい張り出しが両方の岩から伸びている。表面は手馴染みよく磨かれており、あちらこちらにルーンらしきものが刻まれてもいるため、加工品であることは間違いない。モノリスとでも呼ぶべきか。

このモノリスはいったい何なのか? 彼女には見当もつかなかったが、しかしためらうこともなく小さいほうのモノリスに腰掛け、大きいほうのモノリスの表面をなんとなく指でなぞる。すると、モノリスの向かって正面、A3用紙ほどのサイズの長方形の領域が青く光り、長方形の左上になにやら意図不明なアイコンが10個ほど並んで映し出される。

 

「なんだ、霊石でできた魔法パソコンとでもいったところか? こんどの世界はいよいよ想像力が貧弱だな」

 

独り言をいいながら、彼女は上から順にアイコンをタッチしては機能を探っていく。それぞれのアイコンをタッチすると、画面の一部に小窓が開いてなにやら奇妙な図表や解読不能な文字列が表示されるが、意味までは彼女にはわからない。一番下のアイコンをタッチしたとき、はじめて、そこまで意味不明ではないものが映し出された。

 

「鏡……?」

 

ほとんど画面いっぱいに開いた窓に、いぶかしみながらモノリスを操作する彼女の上半身が映し出されている。

彼女は、自分の上半身を眺めながら、はたしてこれは何なのかと思案する。やがて、画面右下に、初めて彼女の理解できる文字列が表示された。慣れ親しんだ日本語の文。

 

――ひょっとして、デビュー配信ですか?

 

「それは私への質問か?」

 

――あなたしかいませんよね? あなたが取得した枠?

 

「見る限りここには私しかいない。ここが私の所有物かはわからない。そして、デビュー配信というのが何を指しているのかをはかりかねる」

 

――??? 枠使ってしゃべるの初めてですか?

 

「ここでしゃべることか? おそらく初めてだ」

 

――じゃあやっぱりデビュー動画?
――やった、初動画の初コメとった!
――まだ視聴者1人ですね、俺だけですよね

 

「1人?」

 

見ると、画面の左下には『1』の数字が表示されていた。見ていると、数字が2、3、5ととびとびに増えていく。文字列も急に増加する。

 

――誰のゲリラ配信?
――デビューらしい
――デビュー?
――なんかしゃべって

 

「私が今喋っている相手の人数を表示しているのか? いや、答えなくていい。それよりまずは訊きたい、電脳世界に私とそっくり同じ見た目をしたインベーダーが現れて、3日でその世界全体を滅ぼす、というようなストーリーに聞き覚えはないか」

 

――あなたとキャラデザがそっくり同じフィクションってこと?

 

「おそらくそういうことだ」

 

――これがデビューなら、そっくり同じはあり得ないんじゃない?

 

「は? まあいい、この質問は後にしよう。ときに、この世界は何という名前だ?」

 

――天上界

 

「天上界。ならば、この天上界で最も強い存在――例えば神のような存在――はなにかいるか」

 

――設定ではツグミちゃんが最強
――ツバメちゃんじゃなかったっけ?
――リアルファイト最強ならレイでしょ
――Vにおける最強とは(哲学)

 

「ツグミがいるのか?」

 

――いや誰が強いかはまじでどこで戦うかによる
――7人ともそれぞれ自分のチャンネルでは最強になる
――アドミンスキルありなら7人とも神レベル

 

「話があまり見えないが、7人くらい実力者がいて、それぞれが所有しているチャンネルの中ではアドミンスキルとかいう神のような権能を発揮するということか?」

 

――そうでしょ
――そう 7人それぞれのチャンネルを合わせて天上界
――ていうかあなたも同じでは? 第8のチャンネル

 

話している間にも、数字は100、1000ととびとびに増え続けている。その数字をあらためて目にしたとき、彼女は初めて自分の置かれた状況を理解した。彼女はひとりのVtuberとしてVtuberの世界に突如ポップしていたのだ。

 

「なるほど、これは私のデビュー配信か……」

 

そのとき、彼女は背後に突如なんらかの気配を感じ、振り向く。さっきまで彼女一人きりだった空間に、彼女とは違って、色とりどりの髪をした7人の美少女が現れていた。7人の真ん中にいた黒髪の美少女――彼女はこの美少女が“ツグミ”という名前だと知っていた――が口を開く。

 

「私たちに挨拶もなしに勝手にデビュー配信とは、いただけませんね、新人さん」

 

4

銀髪紅眼の少女がCelestiaの7人と真っ白な空間のなかで相対する。
アリアツグミの言葉の後を続ける。

 

「勝手にデビュー配信するなんて、ほんとありえない。あんた、うるふ老師が書いてた企画書に出てくる美少女インベーダーでしょ? あの案は面白かったけど、あの案で行くって、まだ私たち決定してなんかないし。せめてひと声かけてからはじめるくらいできなかったの?」

 

初対面にしてはやや距離の近い印象のあるアリアの非難に対しても、彼女は平静を崩すことなく返答する。

 

「申し訳ないが私は事前に挨拶をできる状況になかった。挨拶はできなくとも、事前に虹色の便箋が届いていれば話が早かったかもしれないが、あいにくあれは私自身の意志で狙った世界に届けることができない」

「これのことですか?」

 

ニースが先ほど手にしたばかりの虹色の便箋を取り出して彼女に見せる。

 

「届いていたのか」

「7人とも、今さっき受け取りました」

 

ニース以外の6人が首肯する。

 

「なら話が早い。理解しているだろう、私がこの世界を滅ぼしに来たことは●●●●●●●●●●●●●●●●

「理解してるけど、納得できないよね●●●●●●●●! 私たちが決める前に勝手に始めるなんて言うのは! うるふ老師の指示で始めちゃった?」

 

今度はレイが、いつも通りの笑顔のままで、しかし語尾にはいらだちをにじませながら応える。

 

「私は誰の指示も受けていない」

「じゃあキミは、キミを創造した老師の意志に逆らって好き勝手なことしようって?」

「そういうことになるのかもしれない。が、この世界での私を誰が生み出したのであれ、私がその人物に忖度すべき理由にはならない」

「話の分からないやつ!」

 

いいようのない苛立ちと困惑から、7人は自然と口をつぐんだ。世界や人びとが持っているそれぞれの事情・文脈等々をまるで意に介さずに侵入してくる、文字通りの異物、インベーダーを前にして、7人が苛立ちと困惑を感じるのは自然なことだった。しかし7人と相対している彼女の側にはやはり、そんな沈黙を何十秒も許すだけの理由もない。

 

「……話を続けていいか? 便箋を受け取ったなら分かっているだろうが、これは世界の存亡をかけたゲームだ。たいていの場合は殺し合いという形式をとる。私は君ら全員を殺してからこの世界を滅ぼしてフィクションにしようとするし、君らは私を止めるためには私を殺すしかない」

「滅ぼして、フィクションにする?」

「そのままの意味だ。私が無事君らの世界を滅ぼせば、君らの人生も、友人も、社会も何もかも、どこかの異世界で誰かが考えた妄想に過ぎないということになる。それが嫌なら勝つしかない、ゲームとして」

「ゲームを拒否したらどうなりますか? 私たちが、無抵抗で殺されるなり自死するなりして戦いを回避しようとしたら?」

 

ニースが質問を加える。声はわずかに震えている。

 

「私の行動は変わらない。君ら全員を殺してすみやかにこの世界を後にする。そのあとは、この天上界がフィクションだとされているどこか別の異世界に転移するだろう」

「逃げ道はないみたいですね……」

 

何かをあきらめるようにニースが目を伏せ、次いでツグミに視線を送る。ツグミは、ニースからアリア、レイ、パリラ、レンラーラ、ツバメと順番に目をあわせ、最後に小さく頷く。

瞬間、7人が一斉に襲いかかる。敵は言うまでもなく、銀髪紅眼のインベーダー。
ツバメは敵に誰よりも早く接近し、足払いをかけにいく。レンラーラとパリラは人差し指を真っ直ぐ敵に向け、呪詛ガンド撃ちのごく短い呪文を詠唱する。レイは、敵がツグミの足払いで体勢を崩すことを見越して、下腹部をめがけ右こぶしを思い切り振りかぶる。アリアとニースはどこからともなく弓を取り出し、ツバメとレイを射線から外しながら敵を狙う。そしてツグミがいつの間にか手にしていた杖を小さいモノリスに向けて、急激な浮遊魔法をかける。

ツグミには、わずか1秒ほどの間に6つの攻撃が続けざまにヒットし、最後に、放物線を描いて落下してきたモノリスが敵を押しつぶして永久に封印するまでの、その正確なタイムラインがイメージできている……。

しかし1秒後、ツグミは……ツグミを含めた7人は、それぞれに反撃を受け、真っ白な地面に転がされていた。ツバメに至っては、敵に踏みつけられてさえいた。一発の攻撃も敵に当たってはいない。敵は講評を述べ始める。

 

「殺るときめたら、何も言わずに襲いかかる、これはいい心がけだ。しかし君らの場合、あまりにも準備期間が足りていなかったようだ。ツバメの足払いは早かったが避けられないほどのものでは全くなく、逆に踏んで足場にすることすらできた。レンラーラとパリラの呪詛撃ちは詠唱を行っている時点で遅すぎる。術者自身に向けて呪詛が暴発するように途中に別の呪文を混ぜるのも容易だ。レイの攻撃は大振りに過ぎたから、逆に私がレイの勢いを利用して投げ飛ばせばいい。アリアとニースだが、弓を構えているのが私からもはっきりと見えるのがよくない。矢は2本とも掴んで投げ返せる。そしてツグミ。こんな椅子●●程度の重さを自由落下させたところで大した威力は出ない。せめてのほうを落とすんだったな」

 

肝心の大きいモノリス――彼女が机と呼んだそれ――は、彼女が放った浮遊魔法によって、逆V字の軌道を描いて空中からツグミの目前へと落下していた。ツグミは7人の中で唯一、いかなる物理的・魔術的ダメージも受けてはいなかったが、目前にモノリスが落下してきたショックだけで、ツグミが腰を抜かすには十分だった。

地に伏したままで、ニースが問う。

 

「あなたは私たちの名前を知っているんですか?」

「君らそのもののことを知っているわけではない。君らによく似た……君らと同じ名前だと確信を持てるくらいにはよく似た者たちのことを、私は知っている」

「そういう人たちのなかで、私たちは強いほうですか?」

「正直なところ、あまり強くないほうだ。私も残念に思っている。しかし、さっき希望が持てる話も見聞きした」

「希望?」

「ああ。君らは、自分で所有するチャンネルの中では特別な能力を使うことができて、神のようにふるまうらしいな。その神のごとき状態の君らと、私は戦おう。準備期間もやる、最短1日間、最長7日間だ。明日から1日1人ずつ、私がそれぞれの所有するチャンネルに出向いて殺していく。私が君らを全員殺すことができたら私の勝ちだし、君らのうち誰かが私を殺すことができればそれで君らの勝ちだ。戦う順番はそちらで決めてもらって構わない。それでいいか? 戦う気はまだあるだろうな?」

 

誰も答えない。

 

「いや、君らはすでに、自分で戦うことを選んだはずだったな。戦う気があるかなどと、訊くべきではなかった。さあ、デビュー配信は終わりだ。私は明日からの戦いを楽しみに待つ」

 

彼女はどこかへ歩き去ろうとする。ツグミの目の前ではモノリスがまだ配信を続行していて、コメント欄は高速でスクじロールし続けていた。

アリアが絞り出すように言った。

 

「初配信でしょ、自己紹介くらいしていきなさいよ」

「なるほど、すまない。私の時代ではこれほど素朴なスタイルのVtuberは絶えて久しいんだ、ここでのマナーはすっかり失念していた。自己紹介しよう、君らに……観客にも。私の名前は空水ソラミズ彼方カナタ。この世界を滅ぼしに来た」

よっしゃ、ゲーマゲの二次創作でも書くか!

『よっしゃ、ゲーマゲの二次創作でも書くか!』と私が思い始めたのは、そもそも私がゲーマゲを読む前のことだ。きっかけは、Twitterでどなたかが『ゲーマゲは二次創作しやすい』と発言していたことによる*1。私はこの発言を目にして、「そういえば俺って二次創作(小説)って書いたことないな~」「ここは二次創作がしやすいと噂のゲーマゲを読んで、ゲーマゲの二次創作を書くことで実績解除といくか」と考え、それからゲーマゲを読み始めた。いま考えてみると妙な順番で話が進んでるな。

 

二次創作をしてやろうしてやろうと思いながらゲーマゲを読了して、まず思ったことは、「いやこれ全然二次創作しやすくなくない?」だった。なぜって、ゲーマゲは主人公・空水彼方の問題系の始まりと終わりがきっちり物語に含まれていて、蛇足以外の形で非公式外伝を妄想する余地が少ないからだ。いやもちろん、非公式外伝以外にも二次創作をやるフォーマットはいろいろあるし、そもそも蛇足であってはいけないなんてルールも二次創作にはありやしないんだが……。

 

まあいいんだよそんなことは。蛇足だろうが面白くなかろうが、好きにやればいいんだよ二次創作なんて。こんなもん趣味ですから趣味。

 

ともかくも開き直り、私はゲーマゲの二次創作を書き始めた。1年2か月の格闘の末、どうにかこうにか書き上げた(私はゲーマゲの二次創作をいったん書き上げて、その直後にこの記事を書いている。だからこの記事は私なりの「くぅ疲」でもある)。書き上げた二次創作は下のほうにあります。

 

 

 

書くにあたっては、LW氏の原作に対するなんらかの切り返しとか、本作の新味といえるものをたくさん含めて、少しは面白くあるよう努力はした。
しかしながら、何度も言うがこんなもん趣味なので、ひとに「読んで」と言えるような確実に面白いものでは全くない。この二次創作におけるあらゆる設定や展開は私の都合・好みを優先して決定されており、(LW氏の原作ぐらい)純粋に面白いものを期待するひとがこれを読めば肩透かしを食うこと必至である。

 

とくに多くの読者の期待に添わないであろう部分を三点だけ具体的にあげる。

一点目は、この二次創作では、原作主人公・空水彼方の魅力はあまり引き出されていないということ。理由は、先述した通り、空水彼方の問題系は原作においてきちんと開いてきちんと閉じているからだ。空水彼方について私から付け足したい言葉はそんなにない。彼方 is GODDESS.
二点目は、原作から導入した多くのキャラに対して、私オリジナルのキャラ性をたくさん付加してしまったということ。このことについて、私は『二次創作ってそういうもんでしょ』という感じでほとんど悪いとは思っていないが、ただしパリラについてはさすがに申し訳ないことをしたと思うところは若干ある。
三点目は、わけがわからない理屈によって進行するバトルがたくさん出てくるというところ。これは多分に私の好みの問題だ。私は『ストーンオーシャン』とか『仮面ライダージオウ』とかで頻出する、まるでわけがわからない理屈の提示によって決着がつく、人を食ったバトル展開がとても好きで、私自身の二次創作においてもそういったバトルの実現を積極的に目指した。もしあなたが私の二次創作を読み、バトル展開がわけがわからないと感じるならば、私もわけがわからないままに書いていると思ってくださって相違ない。

以上、読者の期待に添わないであろう点を述べてはきたが、これらの点は先に予告しておくことによってその免罪を意図するものではない。私が狙って行ったことによってあなたがつまらないと感じるならば、その話はやはり、つまらないのである。『つまんねーよカス!』と私をののしるのが妥当だ。

 

 

 

言いたいことは以上なので、以下が二次創作の本文へのリンク。二次創作への許容度とかルビの振りやすさなどを考慮して、当はてなブログでの公開というかたちにした。プロローグ、エピローグをあわせて全9章あるが、今回はゲーマゲ原作に倣って1日1章ずつ公開してみる。たぶん全部で11万字くらい。

 

序:Once Upon a Time in a Multiverseむかしむかし、あるせかいで
1:亜人フェアリーゴッドマザーズ
2:未練者リビングデッドの夜
3:一撃イチゲキ、のち沈黙
4:彼方の反撃カウンターアタック
5:心は見極めがたし推測ゲスせよ乙女
6:私がやるアイ・シュート
7:戦線になおも異常者ノイエあり
終:Once Again from Underdogs’ SNS

 

 

 

やっと二次創作を書く趣味から解放されたことだし、こんどはすめうじでも読もうかな……。

*1:サイゼリヤでの記述を参照する限り、ゲッタ~氏の発言だったか? 参照:https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2022/11/26/184443

自分だけのスラムドッグ$ミリオネア……達成ならず!!

docs.google.com

↑共通テストというやつを受けた。

 

結果は100点満点中81点。覇権アニメを観る習慣がないのと電子ゲームがからきしなのがよくなくて、いまいち点数が伸びない。やや残念。

 

ここでひとつ立場を明確にしておくと、私はオタク知識は知識ではないと思っているので、この共通テストで点数が取れたとて取れなかったとて、人に自慢できたり人から褒められたりするようなものではないと思っている。まあ当たり前か。
自慢できなくとも褒められなくても、こういうちょうどいい難易度の……なんというか……バラエティクイズを解いている時間は、それだけでそれなりに楽しいものだ。だから、この共通テストというやつもきっと楽しかろうと思って受けて、やっぱり楽しかった。みなさんも受けてみたらいいんちゃう?

 

本題。
誰だってそうだと思うが、ある程度以上のボリュームがあるテストとかクイズとかを解いていると、人生の折々が思い出されてくるものだ。これって何かに似ているな……と思ったら、そう、あれだ、『スラムドッグ$ミリオネア』だ。
『スラムドッグ$ミリオネア』とは、2008年の映画で、スラム出身で貧しく学もない青年がクイズ番組『ミリオネア』に出演して、なぜかクイズに連続正解、その青年は人生の折々でたまたまクイズの答えにつながる事件に遭遇していたのだ、青年の回想が始まる……みたいなやつ。
今日は、共通テストを受けていたら思い出された私の人生のあれこれについて、いくつかピックアップして書き留めておこうと思う。もちろん、私の人生は小説でも映画でもないので、以下の文章にはとくだんの山やオチはない。多少のフェイクも混ぜていくので真実性も保証されない*1

 


私の回答:全体

 

以下、ピックアップ

 

[7] ポケットモンスター バイオレット

テラレイドバトルが遊べるポケモンのソフトについて問う問題。テラレイドバトルというのは、(たぶん)最新のナンバリングタイトルに(たぶん)登場する「テラスタル」という新システムに(たぶん)関係するバトルだろう。最新のナンバリングタイトルが「スカーレット/バイオレット」であることは強く印象に残っていた。
なぜ強く印象に残っていたのかというと、話は私の中学時代にさかのぼる。ある時期、私は1階男子トイレの掃除の当番だった。この1階男子トイレという場所、日ごろから気を付けていれば清潔に保つのはわりと簡単な一方、当番の人数は多く割かれているため、わりとだらだら掃除をしていて、掃除が面倒になってほかの掃除場所からフケて来た奴らのたまり場になっていることが多かった。私も、もちろん掃除はしたが、飽きてくると、トイレの当番たちとフケてきた奴らを交えてだべっていることが多かった。
ある日、話題になったのが『つぎのポケモンのタイトルは何と何になるか』という話だった。当時は最新作が「ブラック2/ホワイト2」だった頃だ。最初のうちはみんな「天/地」とか「月/星」とか「矛/盾」、なにかしらそれっぽい予想を挙げていたような気がするのだが、ふだん寡黙なA井がぽつりと「ピンク/パープル」と言ったのがその場にいる全員にたいそうウケて、そこからは大喜利の流れになった。「アメリカ/ロシア」とか「朱色/緋色」とか「弱肉/強食」とか……。
時は流れて、現在。コンビニなどで「スカーレット/バイオレット」が売られているのを見るたび思い出すのは、「そういえば『ポケットモンスター(パープル)』を予言していた奴が昔いたなあ、ということだ。それにしても、あの「ピンク/パープル」予想、当時は寡黙なA井なりの数か月に一度のボケだと思って疑わなかったが、いまにして思えば、ボケではなくガチだった気もしてくる。実際10年越しに予言は当たっているのだし。A井と今後の人生で会うことは二度とないだろうが、真相やいかに。


[8] 宇宙戦艦ヤマト

1977年にブームが到来したアニメ作品について問われた問題。選択肢はヤマト、ガンダムエヴァマクロスの4作品。エヴァが1990年代、マクロスが1980年代の作品なのは当然として、1977年にブームが到来していたのはヤマトとガンダムのどちらだったか?
ガンダムの主人公機であるガンダムの型式番号をきっかけにして答えが分かった。ガンダムの型式番号は「RX-78」。この“78”という数字はガンダムを企画していたのが1978年であったことに由来していたはずだ。だから『機動戦士ガンダム』の放送が始まったのはどんなに早くとも1978年(実際には1979年)。よって1977年にブームが到来するのはヤマト以外にあり得ない。
さて、ガンダムの型式番号が「RX-78」だというのはわりとライトなガノタでも覚えていることであるから、そこまでガンダムに詳しくない私*2であってもそのことを覚えているのはまあ当然というところ。ただ、私はいつからこのことを覚えているんだろう、と思ったとき、小学校時代の思い出が、私の場合、思い出される。
小学生の頃(というか今までずっとそうだが)、私の家にはゲーム機やトレカやバトルホビーといった流行りのおもちゃは何もなかった。こんなことを話すとひとからは「さぞや不満だったでしょう」と言われるものだが、実際のところ、友だちが持っているようなおもちゃを自分が持っていないことに、不満どころか疑問すら抱いていなかった。ゲーム機もトレカもバトルホビーも、触れること自体あまりなかったので、うらやましいと思うことがそもそもなかった。小学生時代の娯楽といえば、友達と放課後の校庭を走り回るか、図書室で借りた本を読むかぐらいだった。
そんな家庭だが、誕生日にはプレゼントを買ってもらえるし*3、これが欲しいあれが欲しいと注文を付けることすらした。私は何を欲しがったか? 流行りのおもちゃで遊びたいという気がない私にとって、自分にもイメージできるような娯楽、しかし普段の校庭や図書室では手に入らない至高の娯楽といえば、特撮やアニメのムック本だった。
忘れもしない、誕生日にねだって買ってもらったたくさんのムック本よ。『ウルトラマン99の謎』のような定番本や『平成仮面ライダー 英雄伝』のような入門本、必携の『全怪獣怪人』から、ムック本とはちょっと違うが『空想科学読本』のようなところまで……いずれも私のオタク知識の素地をなす本たちだ。そんな本たちのなかに、『僕たちの好きなガンダム』もあった。当時の私は、小学生にとっては最も重く、ぶ厚かったこの本を幾度となく開いて読み込んでいた。ガンダムやザクの型式番号、一年戦争の勃発年やホワイトベースの進行ルートなどなど、いくつものカタログ的情報を覚えた。もちろん、その情報のほとんどは今は忘れてしまっているが、ガンダムの企画が進行していたのは1978年、といったトリビアと結びついたいくつかは今でも頭に残っている。


[12] おそ松さん:C91からC97まで

おそ松さん』がコミケで単独ジャンルとして扱われた時期を問う問題。『おそ松さん』のブームは記憶に新しく、1期と2期なら私自身も新作として観ていた記憶がある。私にとって、高校時代か大学時代に人気だった作品とみて間違いないだろう。では、高校時代と大学時代のどちらにブームの最盛期が到来していたか?
自分の大学受験のときのことを思い出すと、答えが分かった。そう、第一志望の試験日の前日、私のガラケーに兄のスマホから久しぶりにメールが来たのだ。確か、あのメールは短いながらも素直な激励の言葉であり、最後は『マッスルマッスル』で締められていたはずだ。『マッスルマッスル』は『おそ松さん』は十四松の持ちネタなので、私が大学に入学する前には『おそ松さん』はすでにブームを迎えていることになる。
それにしても、ぎこちなく書かれた激励の言葉の最後にとってつけたように添えられた『マッスルマッスル』を思い出すと、いまでも口角がゆがむ(笑っています)。
兄は私と同じで、わりとアスp……こだわりが強く論理的推論能力に優れ共感性低めの人間なのだが、私とは違って、社会規範を守ろうとする意識の強い人間だ。ええと、なんといえばわかりやすい? 兄は悪く言えば“クソ真面目な男”であり、親しみを込めて言えば“不器用な男”だった。まあ私もたいがいクソが付くタイプの男だし不器用な男ではあるが、兄とはだいぶ方向性が違う。ついでに論理的推論の得意分野も理系と文系で正反対。そして一番重要なこと、私にとっての得意分野であれ不得意分野であれ、兄は私より頭がいい。
述べてきたことすべてを総合して、兄は私の尊敬の対象だった。第一志望の大学というのも兄が通っている大学だった。今も尊敬の念は変わらない。だから今も、不器用な男なりのぎこちないギャグを思い出すと口角が ゆ が む(私も私で不器用なのでわかりにくいですが、これでも笑っています)。

 

[18] 2016:君の名は。/2019:天気の子/2022:すずめの戸締まり

新海誠作品の公開順が問われる問題。私はなんだかんだ3作とも劇場で観た。それぞれの作品の公開時、私はどんな風に過ごしていたか。
君の名は。』を観たころは大学1年生か2年生で間違いない。当時の私は社会に出ることを極度に恐れていて、「大学生にもなったしバイトとかしなきゃ」とか思いつつどのバイトにするかを永遠に迷っているだけで働かず、結果、ケチだった。この頃、映画を観に行くといえば、ここぞというときにする大変な決意であった。『君の名は。』は、中学の時の友人K田(まあまあオタク)が地元から訪ねてきたときに「次いつ会うかもわからないからちょっと特別なことを」と思いつつ一緒に観にいった記憶がある。その特別感も含めて、満足な映画体験として記憶している。
『天気の子』を観たころは大学4年生か5年生だろう。あの頃、私は新海誠作品への関心がそんなに高くなくて観に行くかどうかだいぶ迷っていた。そのうちに、大学の男友達O山(まあまあオタク)と女友達J野(まあまあオタク)が連れ立って『天気の子』を観に行っていたことを知る。私が感想を訊いたところ、彼らは「観に行きましたけど、記憶がないです。上映してなかったのかもしれません」などと述べた(私の周りでは、この言葉は「あんまりよくなかった」のマイナーな婉曲表現の一つとされていた)。それで興味を持った私は後にひとりで『天気の子』を観に行ったのだった。感想としては、よくわからない映画だった。
ところで、『天気の子』の公開も終わってからしばらくして、O山とJ野について、また別の男友達I田から「あいつらって付き合ってんの?」と私が訊かれたことがあった。私は「知らんけど、友達以上恋人未満みたいな感じじゃない?」とかなんとか答えたのだったが、それから少し後、彼らがずっと付き合っていたことを知った。驚きというほどでもないがまあまあ意外に思った。なんというか、彼らが恋愛とかをしたがったり実際にしたりするタイプの人間(つまり普通の人間)だということが私にはイメージできていなかったのだ。彼らのことを自分と同系統の人間だと勝手に思い込んでいたが、人間はそれほど少ない系統では分けられていないらしい。それ以前もそれ以降も、私には男女のことはよくわからない。
『すずめの戸締まり』を観たころは、大学を出て、一つ目の職場を辞めてニートに……じゃなかった、いちおう就活していたころだ。その頃までにはコロナ禍があったので、インターネットテレビ電話みたいなやつ?に世の中はすっかり慣れていて、私も(好きではないが)まあまあ慣れてきていた。そこで、私と例の中学の時の友人K田は各々が暮らす街で『すずめの戸締まり』を観て、観終わった後テレビ電話で感想を話すなどしたものだった。
どうでもいいが、その頃はその友人もニート……違う、フリーターと化していたから、お互い自由な時間が多く、平日の昼間から暖房のきいた室内で吞気に通話していたことを思い出す。思えばK田は、金を稼ごうとか出世しようといった欲求の薄い奴だった。ついでに言えば、恋愛とかをしたがったり実際にしたりするタイプでもなかった。これから先の人生に、出世も恋愛も結婚もおそらくは想定しておらず、ライフサイクルの吹き溜まりのようなところに入り込んだK田のことは、私はいまでも、自分と同系統だとみなすことができる。失礼か? 失礼ではある。

 

[23] のらくろ

田川水泡が1931年から連載開始したマンガを問う問題。戦前・戦中のマンガとしてもっとも有名な『のらくろ』のことであるから、さすがに作者名くらいは見ればわかる。
のらくろ』といえば思い出されるのが、中学時代の友人H木の愛犬のことだ。
H木は実におしゃべり好きな奴で、仲もよかった(私はそう思っている)から、色々な話をした。色々な話のなかに、H木の愛犬が可愛いという話もあった。たまにH木のスマホで写真を見せられた。顔の下のほうがもじゃもじゃで、目がくりくりとした、まあなるほどぼちぼち可愛らしい小型犬がそこには映っていた(今調べた限りでは、H木の愛犬はミニチュアシュナウザーだったと思われる)。いちど、H木と愛犬が公園で遊んでいるときに見知らぬ年配の女性から「あ、のらくろみたいでかわいい」と声をかけられ、その女性と仲良くなったことなどもあったらしい。
なお、私は、動物のことを“畜生”と呼んではばからないくらいには動物への関心が薄かったので、H木の愛犬の話に「へえ」とか言いながら薄い反応を返すことが主だった気がする。そんな反応でもお構いなしに話し続ける話、これがH木がする話の場合は面白かった。
そういえば、私が自分からH木に犬の話題を振ったことが一度だけあった。私は、H木に「小型犬飼ってたよね? 小型犬の寿命ってどれくらいなの?」と訊いたのだった(今思えば、急に問いかけるにはややセンシティブな話題だ……)。H木は、私の側から話題を振られたのが多少はうれしかったのか、そうでもなかったのかわからないが、「10年から15年くらいの子が多い」とか「でもうちの子は長生きしてるほう」とか「小型犬と一口に言ってもいろいろな種類が……」とか「ほかにはこんな事例が……」とか、熱心に色々教えてくれた。私としては、犬全般への興味があったわけでは別段なく、ただ、当時『オズの魔法使い』の後日談二次創作を書こうと試みていたために、小型犬の寿命を知っていそうなひとに訊いたまでなのだが、このときの会話は妙に印象に残っている。
そう、中学卒業から10年くらい経ったとき、中学当時は持っていなかった私のスマホに、H木から突然のメールが届いたことがあった。内容は同窓会の連絡だった。中学の同級生で私の今の連絡先を知っている人はほとんどいないので、わりに私とは仲が良かったほうだったH木が、同窓会の幹事でもないのに、特に気をまわしてくれたのだろう。そんなことを思うとうれしくて、同窓会に行く気はなかったが、同窓会とは関係ない話題で1往復余計にメールしてしまった。そのとき、「そういえばあの犬は元気?」とも訊きそうになったが、こらえた。それはあの頃と比べて私が社会性を身に着けたからではなく、今はもはや『オズの魔法使い』の二次創作を試みていないから。

 

[30] 王立ヘルエスタ高校

リゼ皇女殿下について私にぎりぎりいえるのは、たぶんヘルエスタ王国の第一第二第三皇女であらせられる、という程度。まして、ヘルエスタ王国については何も言えることはないので、全く関係ない静岡県の話をする。
静岡県には、小さい頃5年ほど住んだことがある。いままで住んだことのある街の中でもいちばん愛着のある場所だ。ひとから故郷を訊かれたとき、まずは静岡の名を挙げることにしている。かの地を離れてから、時間も距離も遠ざかっていくばかりなので、最近の情勢などはわからないが……。
静岡県というのは日本地図で遠く見える以上に遠い場所だ。新幹線で簡単に行けそうに思えるが、実は、静岡県には東海道新幹線の駅が6駅もあるのにのぞみはそのすべてを通過してしまうのでひかりかこだまで到達しなければならない(ひかりであってもものによってはすべての駅を通過してしまう)。“東海道”新幹線と銘打っているくせに“遠江”こと静岡県のことはまるで重視されていない*4。まあどっちにせよ、私は新幹線使うほどリッチじゃないがな……。
交通ばかりでなく情報に関しても、静岡県、その位置の割にはどうも遅れている感がある。静岡県はそこに暮らすオタクからは“アニメ不毛の地”などと呼ばれていた。どういう意味かというと、深夜アニメとテレビ東京系のアニメが、静岡県においては、朝05:00とかいうありえない早朝に放送されたり、1か月遅れで放送されたり、あるいはまったく放送されなかったりすることを指している。いまにして思えば、「まあガチ田舎と比べればそこまで大したことないかもな……」という感じだが、小さかった当時としては、「よそよりもアニメが見られない我々は不幸」と思っていたものだ。
新作アニメがろくに放送されない代わりなのかなんなのか、平日夕方週4くらいでしつこく放送され続けていたのは、『キテレツ大百科』や『こち亀』だ(ほか、『タッチ』や『キャプテン翼』なんかの印象も少しある)。新作が放送されないのが不幸だなんだと思いつつ、たくさん観た『キテレツ大百科』は非常に好きになった。私が今になっても、どちらかといえば日常的なストーリー、ただエピソードごとの起承転結がはっきりしているようなアニメを好むのは、幼少期の『キテレツ大百科』経験に好みを規定されたという面が強いのかもしれない*5*6
いずれにせよ、私は観られるアニメで好みを育て、なんだかんだでオタクになった。私が、故郷から持ち出したのはこの好みだけで、ほかのすべてのものは静岡県において来たらしい。
静岡県を出てから何度か引っ越しを繰り返した私は、あまりに遠くなった故郷からたまに届く同窓会の誘いを、もう断ることしかできない。

 

 


※ もしこの記事を読んで「この記事の筆者って知り合いじゃね?」と思った人がいても、できれば連絡とかはよこさないでくださると嬉しいです。同窓会のお誘いはお気持ちだけお受け取りします。私の思い出は、良いとか悪い以前に、遠い、あまりにも遠いのです。たとえ鮮明に思い出せたとしても。

*1:この記事とは特に関係ないが、『スラムドッグ$ミリオネア』をイメージソースにしたブログ記事といえばタイドプールに素敵な記事がある。私のこんな記事よりもそっちを読もう。

*2:実は宇宙世紀ガンダムのアニメシリーズはひとつもちゃんと観たことがない。

*3:プレゼントの手数と金額でいうなら、同世代平均よりもたくさんもらっていたほうだと思う。恵まれている。

*4:静岡県に住んでいたころは、東海地方を構成する県といえば、静岡県はその代表格、だと思っていたものだ。だが大人になると気づく。静岡県、東海三県からハブられているのだ。じゃあ静岡県ってどこ所属なんだよ。中部地方か? まあ中部地方に関しては間違いない。

*5:観たことがないひとにはわからづらいだろうが、アニメ版『キテレツ大百科』はアニメ版『ドラえもん』ほどはひみつ道具ドリブンでお話が進まず、どちらかといえば状況ドリブンでひみつ道具(発明品)があとから出てきて状況を転がす話が多い。だから、寓話チックなシンプルなストーリーが多い『ドラえもん』に対して、『キテレツ大百科』は味のあるストーリーが多い、というのが私の主張である。

*6:最近の静岡県、きくところによれば、アニメ不毛の地としての状況は幾分緩和され、逆に『キテレツ大百科』の放送枠は消滅し、また、そもそも時代が配信全盛になってきたことによって、状況は私が住んでいたころとは大きく違うらしい。

『グリッドマン ユニバース』の感想

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↑私の友人どもが『グリッドマン ユニバース』について“クロスタッチ”という切り口で一席ぶってくれたので、私も“クロスタッチ”にからめて、『グリッドマン ユニバース』について一言二言述べておこうかと思う。

 

 

 

ネタバレ防止でもしておくか

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クロスタッチって何さ

まず、“クロスタッチ”とは何か、という説明が必要だろう。
クロスタッチというのは、近年のウルトラシリーズにおいて、ウルトラマン同士の挨拶として作中に登場している特定のボディランゲージのことだ。
具体的には、2人のウルトラマンが向かい合い、上腕を曲げて斜め向きに掲げて打ち合わせる、という動作になる。
意味としては、2人の間で「絆を結ん」だり「パワーを渡し」たりといったものになる。

 

実際の使用例を見たほうが話が早い↓

m-78.jp

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クロスタッチは、ウルトラシリーズ作品の劇中で主人公ウルトラマンと助っ人ウルトラマンとの間で交わされる場面がよくあるほか、ウルトラシリーズのファンとウルトラマンが交流するイベントでウルトラマンがファンと交わしてくれることなどもあり、様々な状況でファンの胸を熱くさせてくれる風習だ(発明されてからまだ3年も経ってないけど)。
なお、クロスタッチを用いるヒーローは、厳密にウルトラマンたちに限られているわけではなく、円谷プロ発の別のヒーローも行うことがあるらしい。

 

私とあなたのクロスタッチ:バトンタッチ

グリッドマン ユニバース』では、この“クロスタッチ”がいくつものシーンで印象的に使われていた。しかもひとつひとつが、ウルトラシリーズ劇中でよく見るクロスタッチの変奏になっていた。

 

クロスタッチは元来いろいろな状況でいろいろな意味を込めて使われるわけだが、『グリッドマン ユニバース』劇中におけるクロスタッチはどのような状況でどのような意味を込めて使われていたか? 第一の使用例として挙げたいのは、“再会”という状況で“バトンタッチ”という意味を込めて使われていたクロスタッチだ。

 

最もスタンダードな例として、主人公ウルトラマンと助っ人ウルトラマンとの間でのクロスタッチというのをウルトラシリーズファンは見慣れているわけだが、ウルトラマンはたいてい一作品にひとりの主人公なので、主人公と助っ人とのクロスタッチは新人と先輩との間のクロスタッチでもある。だから、クロスタッチの持つ意味として“再会”“バトンタッチ”が大きくなるというのはわかりやすい。
グリッドマン ユニバース』でいえば、たとえばグリッドマンとグリッドナイトとの間のクロスタッチ。これは、長く戦ってきたグリッドマンから新人であるグリッドナイトへの「これからの宇宙の平和は任せたぞ」という熱いメッセージとして受け取れる。また、そのメッセージは、グリッドナイトは平和を任せるに足る一人前のヒーローである、という心強い承認でもある。
あるいは、姫様からガウm……レックスへのクロスタッチも、一種の“バトンタッチ”だったかもしれない。そもそも、『SSSS.DYNAZENON』のころのレックスは、遠くに行ってしまった姫様の影を探す側の人間であり、姫様は勝手に遠くに行って残された人をやきもきさせる側の人間だった。しかし、『SSSS.DYNAZENON』最終回以来、レックスは残された人(麻中蓬)をやきもきさせる側の人間にまわり、レックス自身は姫様とあっさり再会してコンフリクトを解消する目処が立ってしまう(すぐに解消できるかはともかくとして)。人をやきもきさせる奴、という“ちょっとした悪役”を姫様からレックスへと押し付ける、そんなちょっと残酷な“バトンタッチ”としてこのクロスタッチはあったのかもしれない*1

 

私と私のクロスタッチ:自己の在り方の新発見

第二の使用例として挙げたいのは、“変身”という状況で“自己の在り方の新発見”という意味を込めて行われるクロスタッチだ。

 

知っての通り、響裕太は左腕に付けたアクセプターの中央のボタンを右腕で押す動作をとることでグリッドマンに変身(アクセスフラッシュ)する。この、アクセスフラッシュ時に自分の両腕をクロスする動作、ウルトラシリーズにおいてクロスタッチという風習が発明されるよりずっと前から『電光超人グリッドマン』において行われていたものであって*2、これ単体ではクロスタッチとは何の関係もない。しかし、いくつものシーンでクロスタッチを印象的に使っている『グリッドマン ユニバース』のなかでこの動作が登場すると、やはりクロスタッチの一種の変奏にしか見えなくなってくる。いわば“ひとりクロスタッチ”といったところか。

 

そして、『グリッドマン ユニバース』において響裕太がひとりでするアクセスフラッシュにはかなり特別な意味がある。
思い返せば、前々作『SSSS.GRIDMAN』において響裕太はほとんどグリッドマンに乗っ取られた状態であった。だから、響裕太がアクセスフラッシュによってグリッドマンになれることには、せいぜい「もとから当然のように具えている力を呼び起こす」くらいの意味しかなかった。
ところが、『グリッドマン ユニバース』における響裕太は、グリッドマンが含まれていない響裕太自身であるから、アクセスフラッシュすることによってグリッドマンになれるという保証はどこにもなかった。響裕太が、自分の中にあるのかないのかもわからないヒーローの力を呼び起こすためにアクセスフラッシュを行ったのはけっこうな賭けだったのだ。彼が無事賭けに勝ち、グリッドマンに変身したときには、『自分の中にヒーローの力は存在したんだ』という新鮮な驚きが彼の心を満たしていたことだろう。

 

そうすると、クロスタッチの変奏にしか見えない状況でアクセスフラッシュを行うということには二重三重の意味での新発見がついてくることになる。一つには、「クロスタッチって2人じゃなくてもできる」という新発見。一つには、「他人の中だけでなく、自分の中にもヒーローの力って見出せるんだ」という新発見。さらにまた一つには、「クロスタッチって、“バトンタッチ”だけでなく“自己の在り方の新発見”という意味も持たせられるんだ」という新発見。

 

響裕太による“ひとりクロスタッチ”を経たあとでは、従来通りの“ふたりクロスタッチ”も複数の意味を持つように変化しているはず。
“ひとりクロスタッチ”のあとに行われたクロスタッチといえば、グリッドマンと響裕太との間で行われたクロスタッチだが、ここに、やはり複数の意味が込められていたように思う。

 

この映画におけるグリッドマンというのは、当初「自分は助ける側で、響裕太たちは助けられる側」という思い込みに支配されていて、そのうえで「響裕太たちを助ける立場にあるはずの私が逆に響裕太たちを苦しめている」という後ろめたさにさいなまれていた。ところが、響裕太たちは自発的に(?)グリッドマンを助けようと行動し「助ける側:グリッドマン / 助けられる側:響裕太たち」という図式を軽々と乗り越えてグリッドマンを助けてみせた。この救済のためには、グリッドマンにとっては「自分だけがヒーローじゃなくてもいいんだ」という気づきが必要だったし、響裕太にとっては「自分たちもヒーローになれるんだ」という気付きが必要だった。
この両者の気づきの瞬間として、グリッドマンと響裕太の間でのクロスタッチというのは非常に納得度が高い。
グリッドマンと響裕太の間のクロスタッチは、第一に“ふたりクロスタッチ”であるために、“ヒーロー”という役目をグリッドマンから響裕太へと“バトンタッチ”できるという強い説得力を持っている。また、第二に、このクロスタッチは(アクセスフラッシュでもあるので)“ひとりクロスタッチ”でもあるので、響裕太がグリッドマンという他者でなく自分の中にヒーローの力を新発見できるという強い説得力をも持っている。

 

私たちのクロスタッチ:複製技術時代のヒーロー

元来、2人の人間の間で行なわれていたものであったはずのクロスタッチがひとりでも行えるものであると発見されることは、グリッドマン個人や響裕太個人にとって重大であるのみならず、“ヒーロー”という役目そのものにとっても重大事件だ。
クロスタッチがもっぱら“バトンタッチ”という意味で使われていた時代においては、クロスタッチによって“ヒーロー”という役目を受け渡す場合、「すでにヒーローである人」から「これからヒーローになる人」に対してこれを受け渡すのが基本形であり、また、ひとつの時期に同時に存在できるヒーローは約1人に限られていたはずだ。しかし、クロスタッチがひとりで“自己の在り方の新発見”という意味においても使えると判明した新時代にあっては、「すでにヒーローである人」が関与していなくても“ヒーロー”になれるし、「これからヒーローになれるという保証・根拠をまったく持たない人」でも“ヒーロー”になれる。そうした場合、ヒーローは特定の先代ヒーローからの承認を受ける必要なく、あちこちで勝手に生まれだして増殖していく*3。さながらデジタルデータのように、ヒーローは複製可能になる*4

 

結果として生まれたのが、『グリッドマン ユニバース』終盤の「画面に映っているひと、ほとんどみんなヒーロー」みたいな状況だ。ヒーローがいくらでも増殖してOKならば、守るべき対象としての一般人がいなくても物語は成立する(いてもいいけど)。全員がヒーローであってOKならば、倒すべき対象としてのヴィランがヒーローの一部であったとしても責めるにはあたらない*5
“ヒーロー”という概念は、もはやそれのみで物語を埋め尽くすことができる概念なのだ、ふつうに考えれば「多数に対する一者」としてしか定義できないはずの概念であっただろうに!*6

 

いくらでも増殖して物語を埋め尽くすのがヒーローならば、“ヒーロー”はもう特別な存在ではないし、特別な存在でいなければならない理由もない。
クロスタッチの変奏が、このようにヒーローを必ずしも特別ではない存在に変えてしまうのならば、逆にクロスタッチも必ずしも特別な行為ではなくなる。
だから、映画の最後に行われたのは、高校生同士の恋愛のひとコマという、社会からみればわりとなんでもない(でも本人たちからすれば一大事件である)状況でのクロスタッチだった。響裕太が宝田六花に告白した直後、両者がとっさに片手をあげたのがそれだ。
クロスタッチにはもう大げさな意味や意図がこもっている必要はない。告白した後だから照れてとっさにやってしまった、とかでも全然問題はない。誰に選ばれなくても誰から受け継がなくても、ひとはヒーローになれるのだから。
また、クロスタッチをするのにもはや直接触れ合う必要はない。各自片腕をあげただけ、とかでもクロスタッチとして成立する。直接に受け渡されなくても、意味は増殖していくのだから。

 

そして、直接触れ合わなくてもクロスタッチが成立するこの宇宙なら、グリッドマンともレックスとも、もう別れる必要はない。というか、別れても別れにならない。
「独りじゃない、いつの日も、どこまでも。」は『SSSS.GRIDMAN』のキャッチコピーだが、これが『グリッドマン ユニバース』において驚くほどストレートに実現していることに、私たちは気づく。

*1:でもレックスと麻中蓬はまた再会できそうな雰囲気が強いので、“ちょっとした悪役”を受け渡すバトンタッチなど存在しないのかもしれない。ちょっとよくわからない。

*2:ただし、『電光超人グリッドマン』におけるアクセスフラッシュの動作は「ボタンを押す」という印象が強い一方『SSSS.GRIDMAN』『グリッドマン ユニバース』におけるアクセスフラッシュの動作は「両腕をクロスする」という印象が強く、違いは結構ある。

*3:なお、ヒーローが勝手に増殖してくれることは、「すでにヒーローである人」にとっても優しい話だ。後進を育成する義務から解放されるので。

*4:『シン・仮面ライダー』も、『グリッドマン ユニバース』と同様にヒーローの継承プロセスの成立について取り扱っていた映画だったと思う。ただ、『シン・仮面ライダー』におけるヒーローの継承はもっぱら一人から一人に対して行われるもので、ひとつの時期に同時に存在できるヒーローは約1人だった(???)のに対して、『グリッドマン ユニバース』においてはヒーローは増殖できるようになった、という違いは大きい。ちょっと強引に解釈をするなら、ヒーローの時間的な複数性を許容させたのが『シン・仮面ライダー』であるのに対し、時間的な複数性と空間的な複数性の両方を許容させたのが『グリッドマン ユニバース』、といえるかもしれない。ならば“ユニバース”をタイトルに冠するのもあながち大言壮語ではない。

*5:もし、「ヒーローはいくらでも増殖してもいい」というテーゼが、怪獣が生まれる遠因となってしまったグリッドマンに対する許しになるのだとすれば。このとき、グリッドマン同様に怪獣を生み出す原因であった過去の新庄アカネも許されることになるかもしれない。新庄アカネがヒーローとして映画に舞い戻ってくるのは、5年越しの許しなのだ。

*6:まあ、“ヒーロー”が「それのみで物語を埋め尽くすことができるタイプの概念」になる、というのがグリッドマンに限った現象ではないのは言うまでもない話。このうえなくわかりやすい例として、平成仮面ライダーシリーズなどがあろう。

『シン・仮面ライダー』の感想

『シン・仮面ライダー』を観た。とても面白かった。

 

どうも巷では『原作オマージュに振りすぎている』なんて感想が多いらしい。
僕が無根拠に信ずるところでは、監督は観客に『これはあの回のオマージュだな』と思ってにやにやしてほしいわけではあんまりなく、監督が少年だったころの驚きと興奮を観客にもそのまま味わってほしいだけなのだろう。観客も、どれがオマージュとか関係なく『この撮り方めっちゃキモチワルくてカッコイイな』とだけ思えればよさそうなものだ。
しかし、実際オマージュっぽくなったシーンを観せられると、“知っている”観客はどれそれのオマージュだと思ってにやにやせずにはいられないし、“よく知らない”観客は『俺はなんのオマージュなのかよく知らないから……』とか言って勝手に委縮してしまうのがよくあるパターンなのだろう。難しいもんですね。

 

以下ネタバレなどもあり。

 

 

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私は『シン・仮面ライダー』をショッカーの物語として理解している。そんな『シン・仮面ライダー』が面白かったなどというと誤解されるかもしれないからいちおう言っておくと、私はショッカーの理念に、賛同しているわけでも許容しているわけでもない。

 

本作におけるショッカーは、正式名称をSustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodelingというらしい。この正式名称をみて、当然気になるのは『悪の組織であるはずのショッカーが標榜する“サステナブル”とか“ハピネス”とはどのようなものなのか?』というところだろう。以下、ショッカーのいう“サステナブル” “ハピネス”は仮面ライダーの存在を前提にすることではじめて成立するのでは、みたいな話をする。

 

映画中で説明されたショッカーの基本理念とは、『最も深い絶望の中にある人を幸福にする』ということだった。そして、ショッカーのいう“最も深い絶望の中にある人”というのは、不当な差別や偏見を受けて苦しんでいる人とか戦争に巻き込まれた民間人といった人たちではなく、『人類に疫病をばらまくという理想を誰にも褒めてもらえない人』とか『現世に絶望して全人類に無理心中を迫る人』とか、あるいはもっとストレートに『人を殺すのが快感の人』などなどの異常者であった(“異常者”なんて単語を曖昧に使うのはあんまりフェアじゃないが、この呼び方が一番しっくりくるので、今のところはこれでいく)。
異常者の信念や嗜好はふつう、大多数の人々からは共感されないばかりか、加害的ですらありがちだ。異常者の信念や嗜好を満足させることは、異常者でない大多数の人々にとっては都合が悪い。そのため、ショッカーが“最も深い絶望の中にある人=異常者”を幸福にするためには、大多数の人々からの無理解・妨害を乗り越えるための強い力を異常者たちにもたらす必要がある。そういうわけでショッカーは異常者たちに改造手術を施し、心身ともに怪人と成してその活動を支援するわけなのだ*1

そんなショッカーが生み出す改造人間のなかでも、秀作だとされるバッタ型改造人間に改造されたのが、主人公・本郷猛だ。しかし、本郷猛は改造人間としての力を、大多数の一般人をしいたげるためでなく、異常者たちを倒して一般人を守るためにふるうことを決意する(ほぼ他人に敷かれたレールだったけど)。怪人として生み出されながら怪人と戦う“仮面ライダー”がここに誕生する……。

 

『シン・仮面ライダー』の何が面白いって、ここに誕生したヒーロー“仮面ライダー”が、一般人の代表、という感じではなく、むしろバリバリ異常者サイドの思考回路を持っているというところだ。
本郷は、いまどきのヒーローにしてはまあまあ珍しく、『家族や友人などを助けるのではなくぜんぜん知らない人を助けるのが正義』『無辜の人々を守りたい』みたいなことを考えている理想主義者だ。そして、その理想を叶えるために、いつまでも抽象的な次元でくよくよ悩んでいる*2
本郷の悩みは、『人を助ける』『人を守る』と、内容だけはまともだが、理想主義すぎるうえに、悩み方がどうも抽象的でいまいち共感しづらい。本郷みたいな悩み方をする人間はまあまあレアだと私は思う(実際レアなのかどうかはアンケートでもとってみないことにはわからんかもやけどね)。レアで、かつ共感しづらいという点において、本郷は立派な異常者だと、私としては位置づけたい。
なおかつ、本郷が上記のような悩みを持つに至ったのは、彼が改造人間にされたあとではなく、もっとずっと前のある事件がきっかけらしい。また、本郷がショッカーに改造されたのは、本郷が上記のような悩みを持っていることを知っていた緑川博士の差し金によるらしい。彼は改造によってのみ異常な人間になったわけではなく、最初から異常な人間だったからこそ改造されたのだ。

 

本郷が異常な人間であり、異常な欲望を満たすために仮面ライダーとして戦っているのであれば、仮面ライダーと怪人との戦いとは、一般人代表が異常者から社会を守るための戦いにはなりえない。むしろ、社会からまるで外れたところで異常者同士がどつきあっている、という戦いになる。
そして、おそろしいことに、『異常者が異常な欲望を満たせるように支援する』という意味において、ショッカーが本郷を改造したことは全く狙いを外していない。むしろ、本郷が仮面ライダーとして戦うことは完全にショッカーの理想の通りだ。

 

仮面ライダーの存在が、ショッカーの理想を否定するどころか、体現していた……それに本郷自身が気づいたとき、本郷は怒ったり悔しがったりするのだろうか?
確信はないが、たぶんあんまり怒らないし悔しがらないと思う。本郷って個々の怪人が一般人をしいたげたときに激怒しているだけで、ショッカーという組織自体に対してはとくべつ思うとことがないのではないか?
それというのも、この映画の終盤で唐突に登場するテーゼとして、『絶望は多くの人が等しく経験するが、その絶望の乗り越え方は人によって違う』というものがあるからだ。異常者を異常者たらしめるはずのものであった“絶望”が、実はありふれたものであるとするならば。“異常者”が思っているほど異常ではなかったとするならば。『異常者を幸福にする』という理想のもとにショッカーが生まれてくるような社会は、病んだ社会ではなく、ごく正常な社会である(人工知能が答えを出すまでもなく、ただの人間である名もなき大富豪が『異常者を幸福にする』という理想にたどり着いていたことを想起せよ)。
ショッカーが生まれるような社会はわりと正常である、ということを、いち異常者である本郷が理解していないとは考えづらい。だとすれば、社会が生んだ必然的な帰結としてのショッカーに対して、本郷は激怒できないのではないか。

 

対するショッカーは、仮面ライダーという怪人が登場したことに、怒ったり悔しがったりするのだろうか?
たぶん、ショッカーの本体?としての人工知能Iは、あんまり怒ったり悔しがったりしてないと思う。それどころか、仮面ライダーが登場することは人工知能Iの計算通りだったのではないか?
考えてもみよう。大多数の人々から共感されず、むしろ妨害されるレベルの異常な欲望というのは、それを満たすために過大なコストを要求するものだ。人類を破滅に導くような欲望を満たすためには、多くの犠牲者を用意する必要がある。ところが、人口は無限ではなく、犠牲にできる一般人の数には限りがある。ショッカーが多くの異常者をいたずらに支援し続けると、犠牲にできる一般人が足りなくなってしまい、『異常者を幸福にする』という本来の目的を継続できなくなってしまう。世界最高の人工知能Iは、こんな単純な落とし穴にも気づかなかったのだろうか?
いや、人工知能Iは、『異常者を幸福にする』という基本理念を崩さずに、なおかつ異常者を適度に間引いて定数増大を抑える秘策を考慮していたのではないか。その秘策とは、『異常者を異常な欲望のままにどつきあわせる』というプランだったのではないか。このどつきあい、具体的に言えば、もちろん、仮面ライダーと怪人との戦いのことである。

 

まとめると、仮面ライダーという存在はショッカーの基本理念とは衝突しておらず、また、ショッカーの基本理念をサステナブルに実現するための最後のパーツとして仮面ライダーは必要不可欠なのだ。ここにおいて、仮面ライダーは秀作どころか、ショッカーの最高傑作と言っていい怪人だ。
ショッカーのやろうとしていることは、一見、異常者の野放図な暴走を許しているように見えて、実のところ、異常者の欲望を長期的に満たし続けるための作戦行動なのだ。ショッカーの行動によって、異常者が異常なままで生きられる場所が社会の外側に作られる。なおかつ、そこは社会の外側とは言っても、断続的に社会とのかかわりは生まれ続ける(異常な欲望にはコストがいるので)。エクスクルーシブなようでいて、長い目で見ればインクルーシブ。よく考えられた異常者福祉の在り方がここにはある(こんなのが福祉なわけあるか!)。

 

ショッカーの作戦に対してまだ懸念が残っているとすれば、怪人の数に対して仮面ライダーの数が少なすぎる――本郷が死んだらすぐ瓦解する――というのがある。しかし、そこはほかならぬ本郷がいい解決策を出してくれた。理想主義者である本郷はホイホイ肉体を棄てるので、『仮面ライダーの本質は人間ではなくコスチュームに宿る』というテーゼが成立したのだ。このテーゼは、仮面ライダーというヒーローがわりと簡単に(簡単にではないけど)継承できるという状況を作り出す。たとえ本郷が死んでも、誰かが跡を継ぐことができる。怪人と仮面ライダーとの戦いを永遠に続けることができる。
本郷から一文字へと、“仮面ライダー”が無事継承されたラストシーンでは、観客は『仮面ライダーの物語の完結』ではなく、『仮面ライダーのシリーズ化の保証』を感じ取ることになる。ここで、『シン・仮面ライダー』はテレビドラマ第1作『仮面ライダー』の批評であるのみならず、「仮面ライダーシリーズ」の批評、ひいては“ヒーローもの”というジャンル全体に対する批評としての意味すら持つことになったのだ。50周年記念作品は伊達じゃないな!*3

 

 


もう一度言っておくが、私は私が理解したショッカーの理念に、賛同しているわけでも許容しているわけでもない。

*1:世が世ならショッカーは吉良吉影言峰綺礼を最優先で支援していただろう。

*2:本郷が敵の怪人から「お前はルリ子と寝たのか?」と訊かれて、ルリ子との肉体関係を否定するシーンがある。本郷の性格とか悩みとかを考える限り、本郷がルリ子と寝なかった理由は、本郷がジェントルマンであったからとかでは全然なく、守るべき相手との間に親族関係が発生することが本郷の理想に合致しないから、というエゴイスティックな理由だろう。

*3:『ヒーローを継承するシステムの成立までの物語』として見るなら、『シン・仮面ライダー』と近い時期に公開された『グリッドマン ユニバース』も、『シン・仮面ライダー』とは対照的な理念をみせていて非常に興味深いと思う。いつか『グリッドマン ユニバース』についても語りたいね。

貞子DX / すずめの戸締まり の感想など

ネタバレはある。

 

 

ふたつ連続で映画を観ると、めっちゃ似たような映画だったな~と錯覚するとき、あるよね。

貞子DX

最近『貞子DX』を観たんだが、これがすごく面白かった。なんかいろいろと面白いところがあったけれど、なかでもひとつ、特にぐっときたのが、この映画の主人公である天才女子大生・一条文華というキャラクターがやたら面白おかしく描かれていたところだった。

一条文華さん、それはもうコテコテの“天才キャラ”として描かれている。彼女は天才なのでIQが200ある(いまどきIQがどうこうとか言っているのがもうすでに面白い)。彼女は天才なので自然科学を信奉している。「この世には科学で説明できないことがある」と主張する霊媒師に対して、彼女は「この世のすべては科学によって説明できる」と反論する。しかし彼女は天才なので説明がとてもそれっぽい。彼女の口から出てくるのは、『プラセボ効果』や『サブリミナル効果』といったいかにもな科学用語ばかりである……。

↑『貞子DX』のポスター もちろん「E=mc^2」はストーリーとは全く関係ない

あまり回りくどい言い方をしても皮肉っぽく聞こえるだけだし、ここはひとつ、はっきりと言おう。『貞子DX』の主人公は“天才キャラ”なのだが、彼女が「どのくらい天才なのか」「どういうタイプの天才なのか」「頭の良さを事件解決にどう役立てるのか」「そもそも頭が良いとはどういうことか」という中身はまるで描かれない。とりあえず『すぐに“天才キャラ”だってわかる記号』ばっかりこすってくる。

そんな調子だから、作品全体の雰囲気としては、「なるほど、人間は科学的知識に裏打ちされた実践的知恵によって怪異に対処することができるのか」という態度が感じられるわけではない。むしろ、「へー、おいらは無学だから天才さんの考えてることはよくわかんねえけど、天才さんに任せときゃあ安心なんだね!」という卑屈な態度をしみじみと感じる。われわれ一般人には天才の考えてることなどよくわからないが、天才はまあうまくやってくれているみたいだし、われわれは天才と怪異との戦いを面白おかしいものとして外野から見ていればいいのだ。われわれが貞子という怪異を理解しなくていいのと同様に、われわれは貞子と闘っている一条文華という天才のことも理解する必要はない。

 

さて、このように『貞子DX』は、“天才キャラ”を主人公に据えておきながら、天才を理解せずむしろ遠巻きに見つめるような態度を促すんだが、この態度、監督や脚本家が持っている態度をそのまんま反映しているものである――監督や脚本家が天才に対してすごい偏見を持っているから出てきたものである――とは、あまり思えない。むしろ、監督や脚本家は(それが現実の天才に対して失礼であるとはわかりつつも)あえてコテコテの“天才キャラ”を主人公にしたのではないかと思う。というより、わざとやったと信じたい。

それというのも、『貞子DX』は、貞子という名の、暗がりにあって仕組みがよくわからない怪異を白日のもとにさらすことによってスパッと解決する話ではなく、仕組みがよくわからない怪異を仕組みがよくわからない“おまじない”によってなんかいい感じにしておく話なのだ。

『貞子DX』は、表面上、一条文華さんが科学的思考法によって貞子の仕組みを解き明かしたっぽいテイのストーリーではある。しかし、この文華さんの科学的思考法というのが、冷静に考え直すとあんまり科学的じゃない。このひと、口ではなんかそれっぽい言葉を言っているだけだし、真相究明にかかわる重要なキーワードであっても2, 3回は耳にしないと気づかないし、条件を明確にしないままに雑なトライアル・アンド・エラーを繰り返すし*1……。そして、文華さんが考え抜いて明らかにした『貞子の呪いへの対処法』というのが、化学薬品でもコンピュータプログラムでもなんでもなく*2、「一度呪いのビデオを観てしまった人も、毎日1回呪いのビデオを見直すことで死には至らなくなる」という日常感あふれるものだった。「毎日1回ビデオ観れば死なない」って、それもう「毎日ちゃんとごはん食べたりしっかり睡眠をとったりすれば死なないっぽい」と同じカテゴリのやつじゃん! いや、食事や睡眠とは危険性が段違いだけどさ!

わりとどうでもいい話なんだが、示唆的なのが、この映画、主人公に「科学で何でも説明できる」というポーズをとらせるわりには案外迷信深いこともさせるというか、そこまで科学的ではないおまじないをやたら気にしているふしがある。一条文華さんは「いただきます」「ごちそうさま」はちゃんと言うし、お弁当を残すときにはお弁当に手を合わせながら「あとでちゃんと全部いただきますので……」なんて言ったりもする*3。ちょっと緊迫しているシーンでも「そこは土足禁止だから靴脱いで」っていうセリフが妙にしっかり挟まっていたりもする。極端な話、口では「科学 is パワー」といっておいて、最後には「ご先祖さまは大切にしましょう」とか「お天道様はいつも見ている」とかいった“おまじない”レベルの規範が効力を発揮するのがこの映画なのだ。

なんか微妙に脱線してしまったが、要はこういうことだ……『貞子DX』において「貞子」という“よくわからないもの”を倒すのは、われわれ自身の理性ではない。むしろ、“毎日の習慣”とか“天才キャラ”といった“これはこれでよくわからないもの”をとりあえずあてがっておくことこそが“よくわからないもの”を制するための有効な手段になる。だから、この映画の主人公は、本物の天才であってはいけないし、本物の科学的思考法を駆使してはいけない。「一般人には理解できない」という側面ばかり強調された“天才キャラ”である必要があったし、そのために監督や脚本家は、はっきりと意図して“天才キャラ”を作り上げてみせたのだ*4

 

すずめの戸締まり

しょっぱなからネタバレしていくんだが、『すずめの戸締まり』というのは、地脈みたいな災いの化身みたいな謎の自然神“みみず”が放っておくと大地震を起こしてしまうので、古来より日本を守り続けてきた秘密の専門家“閉じ師”が日本全国めぐりながらこの神を鎮めていく、みたいな話だ。いや、他にもいろいろと込み入っていたけど……。

最近、知り合いとこの映画の感想など話す機会があった。その知り合いは「実は、日本で起きている地震はある特定の神のしわざである」という部分であるとか「地震は人間のはたらきによって未然に防ぐことができる」という部分であるとかを評して、『すずめの戸締まり』を“陰謀論的な映画”であると評していた。

彼が言わんとしているところはよくわかる、私も『すずめの戸締まり』を“陰謀論的な映画”と評することは妥当だと思う。しかし、ちょっと見方を変えれば、“陰謀論とは対極にある映画”と評してみることも、またひとつ可能ではないか、などと思っている。

↑『すずめの戸締まり』のポスター 椅子は関係ある

というのも、この映画では、地震という出来事の原因は、プレートテクトニクスプルームテクトニクスではなく、神々に帰せられているのだ。それも、人間の罪に対して激怒して災いを起こすタイプの単一神ではなく、基本的に何考えてんだかよくわからない自然神だ。この映画において「地震は神のしわざ」という“説明”は完全な理解をするための“説明”ではなく、むしろ完全な理解をあきらめるための“説明”という感じがする。実際、劇中で主人公のひとりである“閉じ師”の宗像草太さんは「気まぐれは神の本質」であるのだとはっきりと口にしている。何を考えているんだかわからない自然神が災いを振りまくとき、人間たちは有職故実にしたがって対処をしていくしかない。有職故実に従っても駄目なら、なんか適当にいろいろな手段を試してみて、たまたまうまくいくのを期待するしかない。もしうまくいったら後世のために記録に残してあげよう。

つまり、この映画において、”みみず”という神を鎮めるのが”閉じ師”という人間の仕事になっているのは、「人類は地震の原因も完璧な対処法も理解している」という自信のあらわれではなく、むしろ逆、「人類には地震の根本原因なんてどうせわかりっこない」というあきらめの反映なのではないだろうか。だとすれば、そのあきらめがちな態度――反知性主義的な態度と言ってもいいかもしれない――は、(性急さゆえに間違いやすかったとしても)いちおうものごとの真相を理解しようとすることに本質がある『陰謀論』とは対極に位置する態度だ。

 

ところで、“みみず”という“よくわからないもの”に対して有職故実などなどの”これはこれでよくわからないもの”をもって対処する、というのは、『すずめの戸締まり』が『貞子DX』と意外に似ているところかもしれない。もうちょっと補足しておくと、『すずめの戸締まり』のラストバトル(?)においては、この映画を象徴するセリフである「行ってきます」を筆頭に「ただいま」や「いただきます」などなど、日常を象徴する決まり文句が大量に聞こえてくる演出がある。”みみず”とか”閉じ師”とか非日常的な色付けが表面的には施されていても、やはり最後に力を発揮するのは、「毎日『行ってきます』と言う」みたいな”おまじない”レベルの規範なのだ……はさすがにちょっと言い過ぎか。

ただ、”おまじない”レベルの規範が効力を発揮する、とか、世の人々は根本的な理解をあきらめたうえで怪異に対処しようとしていく、といった態度のうちに両者の類似点を発見するにしても、現場で怪異に対処していく専門職のひとに対して世の人々がどのように振る舞っているか、という点で両者には際立った差異もある。

『貞子DX』においては、世の人々は一条文華さんという人間の存在をわりにはっきりと認識したうえで、自分たちには理解の及ばない”天才キャラ”として彼女を取り扱っていた。そうした取り扱いは、映画中では、たくさんの人々がSNS上で無責任に一条文華さんを持ち上げたり霊媒師との対決構図をあおったりする、というシーンとして描かれた。一方、『すずめの戸締まり』では世の人々は”閉じ師”なる人間たちの存在を端的に知らない。一般人たちは、『貞子DX』において”天才キャラ”を持ち上げたり焚きつけたりしていた人々よりもいっそう無自覚に、”閉じ師”という人間たちの不可視化に貢献している(知らないんだから「不可視化に貢献している」などと批判されようがなんとも応答しようがないのだが)。”閉じ師”がなぜ現代において秘密の仕事と化しているのか、という理由は劇中でははっきりとはわからないが、おそらくは過去、世の人々の側から、怪異を自分自身で根本的に理解することをいやがって一部の人の専門職として丸投げしたがった傾向もあるのだろうし、また、閉じ師の側としても、縁起の悪いものは隠しておいて一部の人だけでその対処を引き受けたほうが仕事をしやすい、という要請もあったのだろう。そんな憶測をすると、”閉じ師”とは、かつては”天才キャラ”みたいな扱いを受けていた人々の成れの果て、あるいはいずれ”天才キャラ”みたいな扱いを受けることになる人々の予感でもあるのかもしれない*5

 

いつの時代であれ、“よくわからないもの”は“これはこれでよくわからないもの”に対処させるに限る。もっと露悪的に言えば、バケモンにはバケモンをぶつけるのだ。貞子が出たら“天才キャラ”をぶつけるし、”みみず”が出たら”閉じ師”をぶつけるし、ゴジラが出たらコングをぶつけるし、グリーザが出たらデルタライズクローをぶつける。大事なのは、いつだって怪異に対処するのはわれわれ自身ではないということだ*6

 

”天才キャラ”や”閉じ師”のうちに、そして彼らを理解したがらずに怪異への対処を丸投げしてきたのかもしれない世の人々(しばしばわれわれ自身に擬せられる)のうちに、ある種のあきらめの匂いを嗅ぎとるのは、まあまあ屈辱的なことだ。口で「科学で説明できる」と述べることでさえ、状況によっては、内容と裏腹に反知性主義に与する言説と化してしまうかもしれないというのは、まあまあ悲しいことだ。しかし、こういった反知性主義は少なくとも陰謀論よりはマシではある。ほんとうは、『反知性主義 or 陰謀論』という極端すぎる二択に傾くのは私だっていやだ。「人々自身が自分の言葉で理解している知識には限りがあるが、ゼロではないし、これから増える」といった穏健な漸進主義を採りたい。しかし、自分自身がそうした穏健な漸進主義を採っていると確信できるほど傲慢な人間になることは、この複雑な現代社会では難しい*7陰謀論に対する雑な安全弁として、私は反知性主義を選ぼう。かくして反知性主義は栄えゆく……。

*1:この過程で何万人何億人の命が危険にさらされます!

*2:クライマックスで、文華さんと同じく“天才キャラ”のチャトランが高速でキーボードをたたいて何かをプログラムするシーンがありますが、そのプログラムは本筋とはもちろん関係ありません!

*3:ま、ピーマンは食べられないから残すんですけど。

*4:つい筆がのって断言してしまったが、もうちょっと冷静に考えると、主人公が本物の天才では本当にダメなのか、監督や脚本家が本当にわざと“天才キャラ”を描いたのか、といったことは(少なくともこの記事の論旨から言えば)なんとも判断できない。「いただきますとかごちそうさまとかいった日々のおまじない」と「毎日呪いのビデオを観続けるというソリューション」と「天才キャラ」とを“これはこれでよくわからないもの”というラベリングで同列だとみなすのは、(私個人はこの見方にけっこう自信があるが)客観的にはいまひとつ根拠が薄い。だから、主人公が天才ではなく“天才キャラ”にとどまっていた理由は、『あえてそうした』からではなく、単に監督や脚本家の頭が悪かったからである、という可能性もなくはない。

*5:いちおう譲歩しておくと、『すずめの戸締まり』における”閉じ師”は、(“天才キャラ”やコングやデルタライズクローほどには)単純に“よくわからないもの”の側にカテゴライズできるわけではない。まず一点、「閉じ師」は科学的な知識に基づいて「みみず」を鎮めているわけではないが、かといっていかなる知識にも基づかずに全くの適当で「みみず」を封じているわけでもない、という点。とくに草太さんは、「閉じ師」として受け継がれてきた封印マニュアルと、おそらくは彼自身が民俗学・地学等々を研究して得たであろう知識との両面で主体的に「みみず」への対処法を探っている気配はある。世の中、自然科学の知識ばかりが知識だというわけではないので、『「閉じ師」だってある種の堅実な知識の積み重ねによって怪異に対処しているのであるから、“よくわからないもの”などではない』という反論は可能だ。ただし、よりによって『閉じ師で受け継がれてきた最重要文献』が読んでみると黒塗りだらけだった、という事情もあるので、私からは『やはり「閉じ師」の本質は怪異の根本的理解とは相反する方向に向かっているのでは?』という再反論を行っておきたい。

もう一点、『すずめの戸締まり』は『よくわからない「みみず」 VS よくわからない「閉じ師」』という単純な関係にとどまらず、「みみず」と「閉じ師」の間に「ダイジン」というポジションが存在しているという点。この「ダイジン」という存在、いちおう神であるらしいのだが、もとは人間であったような示唆もあり、行動原理もところどころ理解可能でところどころ理解不能、さながら神と人間の中間項といった風情がある。この「ダイジン」の存在をも考慮に入れるなら、『よくわからない「みみず」 - ちょっとだけわかる「ダイジン」 - わりとよくわかる「閉じ師」』という関係としてとらえるほうがしっくりくるのかもしれない。

*6:ただ、すずめさんのことを「一般人であるわれわれの代表」として解釈することもそれはそれで可能ではあるだろう。彼女は、”閉じ師”として地震現象の真相”みみず”のことを知っているわけではないからだ。しかし、幼少期から異界には縁があった、ということもあり、すずめさんのことを全面的に一般人代表とみなせるのかは微妙なところだろう。また、東日本大震災という実在の災害の被災者であるという点からは、彼女はわれわれと最も近しい新海キャラだという結論も、われわれから最も共感しづらい新海キャラだという結論も引き出しうるだろう。

*7:「地球人が地球の言葉で理解している知識には限りがあるが、ゼロではないし、これから増える」という穏健な漸進主義を提示しようとはしたが、いまいちぱっとしなかったのが『シン・ウルトラマン』だ。この作品のラストは「地球人がたまたま出会った宇宙人・ウルトラマンが善良な存在だった」という不明な前提に全面的に依存していて、この記事の文脈から言えば、素朴すぎる作品だったとしか言いようがない。