未練者の夜

前回:亜人フェアリーゴッドマザーズ

 

1

ツグミが敗死し、彼女が愛していた景色が残らず焼け落ちていくのを画面越しに見ながら、レンラーラは、細く、重く、息を吐く。

ふだんはペシミストであるレンラーラでさえ、ツグミが戦い始めたときには、つい期待せずにはいられなかった……ひょっとすると、ツグミがこのまま空水彼方を倒してくれるのではないか? Celestiaセレスティアのメンバーも、視聴者も、誰も空水彼方に殺されずに済むんじゃないか? しかし、この通り期待は裏切られた。ツグミはもう死んだし、空水彼方はまだ生きている。奴は、あくる日にはレンラーラと戦うためにこの半独立空間チャンネルに乗り込んでくるだろう。そして、もし勝負に負けたなら、レンラーラは死ぬだろう。死んだツグミと、これから死ぬかもしれない自分と、仲間たちと、視聴者のことを思って、レンラーラは少し泣く。

 

泣いた後、レンラーラは翌日の配信のことを考える。

ツグミが負けるまでは、レンラーラはつい、自分の配信のことからは考えをそらしていた。しかし、ツグミが負けてしまった今、レンラーラはあらためて自分の役割について考える。Celestiaのひとりとして、レンラーラに最大限できること。それを考えたとき、彼女は、19時からの配信最終回『空水彼方VSレンラーラ』に先駆けて、最終回直前配信を行うことを決意する。

 

翌日、朝9時。レンラーラはSNSで自身の配信の告知をする。昼12時から、最終回直前配信ということで、自身のこれまでの配信を振り返ったり、Celestiaメンバーや視聴者に感謝を伝える内容のトーク配信を行います、という内容の告知だ。この告知に対して、SNS上のファンはまずまずいい反応を返してくれる。朝9時の投稿にしては、だが。
そして、直前配信のために簡単な台本を作ったり、彼方との戦闘に備えて自身のアドミンスキルを最終調整したり、軽食をとったりする。

息つく暇もないままに、12時になる。

 

2

ニースやツグミがそうだったように、Celestiaメンバーの所有する半独立空間は、それぞれ所有者の好みを反映した景色になっている。レンラーラが配信を行う半独立空間がどんな景色かといったとき、それは視聴者たちの暮らす世界で例えるなら、野趣あふれるイングリッシュガーデンに近い。

まあまあの起伏がある地面に、腰ほどの高さの苔むした岩があちこちに転がっていて、また木々がまばらに生えている。岩と木々の間を縫って、素朴な石畳の通路が縦横に走っている。石畳を通じてたどり着くそこここに、周りの地面と明確に区切られてはいないが花壇らしき領域がある。花壇らしき領域のなかでは多くの種類の花が競い合うように咲いていて、同じ花が2輪並ぶことがなく、またどの花も美しい形をしている。ただ、景色全体がうるさくなることを恐れてなのか、花の色合いだけは全体的にくすんでいる。

そうして変化にとんだ景色の中でひときわ目を引くのが、空間のちょうど中央にあるちょっとした広場の、そのまた中央にそびえ立っている、高さ10mほどの奇岩だ。それはまさしく奇岩としかいいようのない、ごつごつといくつもの突起が飛び出した形の岩で、ほぼ全体が苔と蔦に覆われている。レンラーラはこの奇岩の近くにモノリスを配置して配信を行うのが常であった。そしてこの日の最終回直前配信も、奇岩をバックにしたレンラーラが挨拶をするところから始まる。

 

「……お待たせしました、死霊術師のレンラーラです。……いつも観てくださっている方も、初めての方も、ゆっくり観ていってください。……もう、この枠と19時からの枠で最後ですけど……」

 

レンラーラは挨拶をしながら、リアルタイムで更新されている視聴者数の表示をちらと見る。視聴者数の多寡に頓着するのは下品なことだと、昨日までは思っていたレンラーラであるから、いまモノリスに表示されている視聴者数が普段より多いのか、少ないのか、はっきりとはわからない。だが、昼間の配信にしてはまずまずの数字のような気がする。

 

「……視聴者数、増えてますね。……私の配信をこんなにたくさんの人が気にしてくれて、本当に、よかった……おかしいですよね、私、ゲームはなるべくひとりでするほうがいいとか、そんなことばかり言ってきたのに。……Vtuberのくせに」

 

「……私、まえはそんなにVtuberをやりたくなくて……ただ、ツグミに私が必要だって言われたから始めて……だから最初のころの配信はひどい内容で……」

 

レンラーラは、自身のチャンネルの最初期の配信のサムネイル画像を何枚か表示する。
最初期のレンラーラは、ペグソリティアやトランプのクロンダイクなど、クラシックなソリティアを黙々とプレイする配信ばかり行っていた。その配信は、レンラーラから積極的にしゃべることがほとんどないだけでなく、視聴者のコメントを拾うことすらまれな、奇妙な配信だった。それでもコアなファンはついたものだったが。

 

「……最初期のサムネイルを見てみましょう。……ソリティアを黙ってプレイするばかりでしたけど、それでも何人か、熱心に観てくれるファンの方もできて、私がCelestiaにいてもマイナスじゃない、って思い始めました。……でも」

 

そう言ったレンラーラが、最初期の有名回、麻雀ソリティアをプレイした配信のキャプチャ画像を表示すると、コメント欄では視聴者が苦笑らしきコメントで反応する。

表示されたキャプチャ画像、並んだ麻雀牌が大写しになっている平凡なプレイ画面だが、端に表示されたコメント欄が少し異様だ。普通のコメントに交じって『レンラーラちゃん、いつも観てます♡』という文面のスーパーチャットが流れているのだが、このスーパーチャット、コメント欄からはみ出すほどに大きく表示されているうえ、色はグラデーションのついた虹色、また、他のコメントとは違う手書き風の独自のフォントで表示されており、非常に目立っている。いったい何円課金すればこれほどに目立つスーパーチャットを送れるのか、と視聴者は誰もが気にするところだ。このスーパーチャットが当時は波紋を呼んだ。

 

「……この頃、S.S.さんが送ってくださったこのスパチャが問題になったんですよね。……たくさんお金を出してくれたひとが、赤とかピンクとか、目立つ色でスーパーチャットできる、そういうシステムなのに……このS.S.さんのスーパーチャットは誰よりも目立ってるけど、何円ぶんのスーパーチャットかが表示されていないし、そもそもこんなスーパーチャットをどうやったら送れるのか誰も知らない。……そんなの、他の視聴者さんは怒りますよね。……でも、S.S.さんは週に1回くらい、この虹色特大表示のを投げてくれて、投げてくれるたびに怒ってる視聴者さんも多くなって……」

 

Celestiaのチャンネルが使っている配信プラットフォームのどこを探しても、視聴者が自分のスーパーチャットを虹色で特大表示させる方法は説明されていなかった。しかし、実装されていない形式でスーパーチャットが送れるはずはない。よって、多くの視聴者は、Celestiaが特定のVIPにのみ虹色特大表示の手段を開放しているのだと理解した。そして、その“特定のVIP”がいったいどのような条件のもとで特別扱いを受けているのかについてCelestiaからの説明を求める視聴者もいた。

しかし、どうすれば虹色特大表示をさせられるのか、という説明は、Celestiaはおろか、Celestiaが利用している配信プラットフォームの運営にすらできなかった。というのも、スーパーチャットを虹色で特大に表示する機能など誰も実装して●●●●●●いなかったのだ●●●●●●●

説明に窮しているうちに、プラットフォーマーに、Celestiaに、そしてレンラーラにも、SNS等で批判的なコメントが集まるようになり始めた。ちょっとした“炎上”だった。“炎上”といっても、客観的にみて、虹色特大表示の話題に関するコメント全体に対する批判的なコメントの割合は決して許容できないほど多かったわけではなく、Celestiaのメンバーも『偶然ではあるがいい話題作りができた』程度に思っていたのだが……レンラーラだけは、自分のチャンネルの視聴者内に不平等を生んでいることに対して、申し訳なさを感じ続けていた。

 

「……いったいこのスーパーチャットはどうやって送るのか、S.S.さんは何者か、結局なんの答えも出せなくて、ごめんなさい。……そのうちに……S.S.さんからのスーパーチャットが飛んでくることも少なくなっていきましたね。……最近ではほとんど見ません……」

 

レンラーラは語りながら、件のスーパーチャットが映ったキャプチャ画像を画面から消して、配信中期にあたる動画のサムネ画像をいくつか表示する。

最初期こそ好きなソリティアばかりしていたレンラーラだったが、中期になると、Celestiaの他のメンバーと対人ゲームをする配信を行う回が増えていった。レンラーラとしては、対人ゲームの配信をそこまでプレイしたいわけではなかったが、他のメンバーからしつこく誘われたから仕方なく、というのが正直なところだった。しかし、配信としていざプレイしてみると、楽しめる回もたまにはあったものだった。

 

「……この頃は、アリアと『モンスタージム』で……モンスターを育成してバトルさせるゲームで対戦していたシリーズですね……私の育てるモンスターはほとんどがジムを出る前に死んじゃって……私が育てたばかりに……そのうち、私には死の匂いが付きまとっているっていうミームも流行るようになって……」

 

『モンスタージム』というゲームでは、バトルにおいてモンスターが死亡することがあるほか、運が悪いと育成中にもモンスターが死亡することがある。配信でプレイしていたレンラーラは、どういうわけかこの育成中の死亡事例に非常に頻繁に遭遇した。その様を見た視聴者はやがてレンラーラのことを“死霊術師”とあだ名しはじめた。それがきっかけで、レンラーラは、当初Vtuber活動内では明かさない予定だった情報……学院では死霊術を専門に勉強していた、という情報を公式設定として開示することにもなった。

 

「……私と違って、アリアは……モンスターがジムを出る前に死なせてしまうなんてこと、めったになかった、それなのに……! 同じジムを出た兄弟同士でたくさんバトルさせて厳選するから、最終的には私以上にモンスターが死んでいて、最初は意味が分かりませんでした。……アリアなら私よりずっとたくさんのモンスターを生かせるのに、なんで余計に死なせてしまうのか」

 

思考回路がわかりやすく乙女であるアリアが、犠牲の多いプレイスタイルを選択したことは、当時視聴者にも驚きを持って受け止められていたことだ。しかし、今のレンラーラには、その選択はアリアの性格をよく反映したものだったとわかる。

 

「……だんだんとわかっていきました。……アリアは、表面上、強がりやわがままを言っていることが多い性格ですけど、根っこのところでは、いつも他人の気持ちを知りたい、理解したいと思い続けているひとなので。アリアの理解は、いつも正解というわけではないですけど。……だから、あのゲームのモンスターたちに対しても、戦って勝つことがあの子たちにとっての本懐だということを理解したとき、アリアはためらわずバトルをさせた。……だから、犠牲を出したくない私はずっと負け越したままで終わっちゃいましたね。……あと、こんなゲームをプレイしたときもありましたね」

 

次にレンラーラが表示したのは、『エクスプローラ』というボードゲームをプレイしたときのサムネイル画像だ。『エクスプローラ』は、架空の大陸を表現したボード上で、最大7人のプレイヤーで陣地の争奪、資源の採掘、交易などを行うシミュレーション系ボードゲームだ。

 

「……7人全員でプレイしたときも何度かありました。……よく思い出すのは、ツバメがしょっちゅう私に交易を持ちかけてきたこと」

 

ツバメは、Celestiaのなかでは、ツグミと並んでコミュニケーションに積極的なタイプだ。対人ゲームのプレイ方針にもその性格は反映されていて、『エクスプローラ』のプレイ中には他プレイヤーに対する口頭での貿易交渉をかなり頻繫に行っていた。

 

「……最初は……本当は辟易していたんです……ツバメは私をカモにしたいんだろうって。……とりあえず私を脱落させてから他の人と戦う気なんだろうって、思っていました。……でも、ツバメと交易をしていたら一緒に勝てたことも多くて、だんだんとわかってきました。……ツバメは、ツバメみたいに口がうまい人……たとえばツグミみたいなひとと組むよりも、ツグミとはタイプが違うひと……私みたいなひとと組んだほうが利益を出せる、そう見込んでプレイしているんだってことが、わかってきました。……ツバメにとって、私は単純なカモってわけじゃなくて、ツバメ自身と私は違うっていうことを意識したうえで、ツバメ自身の利益のために私と組んでくれているんだって。……それでも、レイとニースとパリラがブロック経済を敷いたときにはやっぱり勝てなかったですけど……」

 

話題はさらに別のゲームへ移っていく。

 

「……レイ、ニース、パリラといえば……この半独立空間で、私対3人で鬼ごっこをした回も何度かありました。……アドミンスキルを使える私が、いつも鬼をやっていて……視聴者さんが増えていくにしたがって、逃げる側の難易度はどんどん上がっていったはずなんですけど……3人はやるたびごとにこの半独立空間の地形に慣れていって、最後まで勝率は落とさなかった。……私も相当研究したつもりです……レイは身体能力が高くて、いつも前向きで……ニースは物知りで、冷静で……パリラは優しくて、必要なときはいつもレイとニースのアシストに回って……隙がない3人でした。……3人のおかげで、私は、私の得意な死霊術をこの半独立空間のなかでめいっぱい使う機会をもらえました」

 

他にもたくさんの配信・たくさんのゲームについて、レンラーラは振り返っていく。思い出せばキリがない思い出たち、そのどれもに、一緒に遊んだCelestiaの仲間や、応援してくれた視聴者の影が見逃しがたく入り込んでいる。
たくさんの人と一緒に遊ぶようになったな、むかしはそうではなかったのに、などと、レンラーラは思わずにはいられない。

 

「……最初は敬遠していた部分も多くありました。……ひとと勝ち負けを争うのとか、ひとに観てもらう前提でゲームをするのとか。……むかしはひとりが一番落ち着いて、時間があればひとりでゲームをしていたくって、それはべつに、今でも変わらないんですけど。……でも、Celestiaの仲間とゲームで対戦したり、たくさんの視聴者さんにプレイを観てもらったりするなかでわかったことも本当に多くて……出会えてよかったな、一緒に遊んでよかったな、って思えたんです。……いないほうが良かったわけじゃない」

 

言いながら涙が出そうになる。嗚咽まではいかないが、声は多少上ずっていて、視聴者にも涙の気配が伝わっている。

涙を止めるために深呼吸をしながら、レンラーラは思う。ああ、ひとから見れば、いまひとつパッとしない、負けと損ばかりの5年間に思えるかもしれない。不理解と理不尽に彩られた5年間だと思えるかもしれない。しかし私にとっては、ひとつひとつの思い出のなかで得たものがあり、なにひとつ無駄なものなど――。

そこまで考えて、胸に息をたっぷりと吸い込んだとき、レンラーラの頭に疑問符が浮かぶ。本当にそうか? 消したい過去などひとつもなかったか? 自分はすべてに納得しているのか?

 

出かけた涙が一瞬で引っ込んでいって、代わりに、醒めた怒りがこめかみのあたりに集まり始める。

 

「……そういえば、言い忘れていたことがありました。……今日はこれだけは言わないといけないんです」

 

誤解されがちなのだが、レンラーラは、怒らない人間というわけでは決してなかった。むしろ、胸の内ではごく頻繫に怒っていた、自身を取り巻く不理解と理不尽のすべてに。ただ、その怒りを吐き出すことを知らなかっただけで。

 

「……S.S.さん、あなたは……あなただけはいないほうがよかった! ……あなたのしたよくわからないスーパーチャットのせいで、いまだに問い合わせフォームに批判が送られてくるんです! SNSでも炎上しているところでは炎上しているんです! 何かするたびに『まあレンラーラのチャンネルだし』って言われるんです! あの騒動のおかげで有名になったからいいだろ、なんていう人もいますが……何もよくないです。私は、何もよくない! 日頃よくしてくれる視聴者さんたちの間に理由不明な不平等を生んで得られる知名度なんて何の価値もないんです」

 

レンラーラは、いまだかつてないほど滑らかに喋る。

 

「本当になんなんですかあのスーパーチャットは? 隠し機能ですか? クラッキングですか? 私から聞いても、S.S.さん、あなたはいつもゴミ同然のギャグでのらりくらり言い逃れるばかりで……。とにかく説明をして。早急に連絡をよこして。最後ぐらい私にはっきりとした説明をして、そして謝ってください! なんとしても! 私が今晩の戦いで死んでしまっても終わりになんかしませんから。私が死ぬまでに間に合わなかったら私の仲間があなたからの説明と謝罪を聞きますから。とにかくはやく、連絡をよこせ! この配信は以上!」

 

3

最終回直前配信を終え、レンラーラはモノリスに向かったまま、だらりと背もたれに背中を預け、放心する。

そういえば、昼の配信が終わったら会いに行くとニースが言っていたな……とレンラーラが思い出したちょうどそのとき、誰かが転移魔法で半独立空間に入ってくる気配を感じ、彼女は振り向く。その来客の顔を見て、息が詰まりそうになる。現れたのは、予告通りレンラーラに会いに来たであろうニースと、なぜかニースの後ろで腕組みをして立っている空水彼方ではないか。

なんで、いまニースが空水彼方と一緒に? まだ戦いが始まる19時には早いはず……とっさには考えが及ばず、目を丸くするばかりのレンラーラに対して、その“空水彼方”が慌てて謝る。

 

「ああごめん、驚かせて。ほら、私。ツバメ。変身魔法で空水彼方さんの姿になっているけど。いきなりじゃ見分けつかないよね」

「……な……な、なんと。……びっくりしました。……てっきり、あの人がもう殺しにきたのかと……」

「ほんとごめんなさい。でも、私が変身魔法で空水彼方さんを再現して、みんなの練習相手になるって、ツグミちゃんから指示があったよね」

「……はい。……しかしこれほど見事な変身とは」

「似てるって言っても見た目ばっかりだよ。いま、ツグミちゃんと空水彼方さんとの戦いのアーカイブをアリアと一緒に分析して、性格とか、戦い方とか、ちょっとずつ寄せていこうとしてるけどね」

「……ツバメが実戦の前に練習相手になってくれるの……本当に助かります。……午前中、いくつか作戦は立てて、イメージトレーニングもしましたけど……きっとそれだけじゃ、ツグミを倒したあの人には敵わないから」

 

レンラーラの言葉に、ニースがなぜか少し身じろぎをする。

 

「……ニース……何か話がある……ですよね?」

「う、うん。レンラーラ、作戦立てたって言ったね?」

「……はい」

「それは、あの私たちの鬼ごっこのときのように、レンラーラ得意の物量戦を仕掛ける、っていう作戦?」

「……その線もありました」

「これは、申し訳ない、んだけど……今日の空水彼方との戦いでは、物量戦はやめてくれる?」

「……」

「厳しい?」

「え? いえ、全然かまいません」

「本当に?」

「……かまいませんよ。……物量戦を仕掛ける作戦も考えましたけど、でも、物量戦以外の作戦も考えてきたので、大丈夫です」

「よ、よかった。ありがとう」

「……ニースが……ツグミが作戦参謀に指名したニースが指示することなら、そうしたほうがいい理由が何かあるんでしょう。……むしろ」

「うん?」

「……なにか理由があるから『物量戦はやめて』と言っているはずなのに、どうしてニースは迷っているのか、少しだけ不思議です」

「それは、この指示が、まだ作戦なんて立派なものじゃない、分の悪い賭けに基づいているからで……。もし私の勘が合っていたら、レンラーラがここで物量戦を仕掛けるわけにはいかない、けど、もし勘が外れていたら、レンラーラに無駄な縛りプレイを強いることになってしまうわけで……ああ、こんな分の悪い賭けに他人を巻き込んでいいはずがないのに!」

 

髪を搔きむしりそうになるニースの手を、レンラーラはそっと抑える。

 

「……大丈夫です。……ニースの賭けなら信じます」

「レンラーラ」

「……なにも無駄になんてなりません」

 

2人を傍観していたツバメがにこりと笑う。

 

「ニースからの話は済んだよね。さあ、レンラーラ、練習試合を始めよう」

 

そして、それから1時間ほどは、ツバメが変身した“空水彼方”とレンラーラとの、それはそれは壮絶な模擬戦が行われることになる。

 

4

時刻は19時。空水彼方は、いつも通りのセーラー服にトレンチコートのいでたちでレンラーラの半独立空間を歩いている。

この空間は昼間と夜間では印象が様変わりするように作られている。最終回直前配信が行われていたような昼の時間帯には、ほんの少しくすんだ色合いのイングリッシュガーデン、といった印象を見る人に与えるが、日が沈む前後からどこからともなく紫色の瘴気がわいてきて辺り一帯に広がり、夜間には、ほんの数mさきも見通せないおどろおどろしい森になるのだ。

濃い瘴気の向こうをせめて見通せるだけは見通そう、と目を凝らしながら、彼方は石畳の道を歩いて行く。目指す場所は、空間の中央に当たる場所。何とはなく、そこでレンラーラが待ち構えているような気が彼方にはしている。

 

しばらく歩くと、突然、瘴気の中から襲いかかってくる者がいる。モーニングスターを彼方の頭めがけて振り下ろそうとする一体の骸骨戦士スケルトンだ。彼方は、骸骨戦士の初撃を右上腕でもって余裕で受け止める。すると骸骨戦士は、余裕で受け止められたことに驚きもせず、あっさりと後退して瘴気の中に身を隠す。

 

雑魚敵に見えるが、わりに慎重だな……彼方がそう思っていると、すぐに次の攻撃者が現れる。今度は両手に鎌を持った骸骨戦士。彼方の体を左右から挟み込むように斬撃を繰り出す。彼方はひらりととんぼ返りを打って鎌をかわし、着地すると、すぐに回し蹴りで反撃を加えようとする。しかし、骸骨戦士はまたもあきらめよく後退し、瘴気に隠れて見えなくなる。

 

彼方が、鎌の骸骨戦士が後退していった方向に警戒を向けていると、次は背後から、鋭く突くような攻撃の気配。彼方は身をねじってこの突きを避け、ついでに繰り出された得物を両手でつかむ。見れば、攻撃者はランスを構えた骸骨戦士だ。骸骨戦士は、ためらいなくランスから手を放して、やはり瘴気の中に戻っていく。

 

彼方は、はからずも奪った格好になったランスを一瞬見て、特に興味をひかれる点もなかったのか、道に投げ捨てる。がらん、と重い金属音が森に響く。

 

「レンラーラ、聞いているか? 骸骨戦士が何体かからんでくるが、まさか、この程度で私への攻撃のつもりじゃないだろうな?」

 

応答はない。彼方は鼻を鳴らし、歩き続ける。

そして、次の攻撃。いま瘴気に隠れたばかりの骸骨戦士がまた襲いかかってくる。しかし、今度は三体同時、三方向からの挟み撃ちだ。

胸ぐらいの高さに繰り出された三体の攻撃を、彼方は前後にめいっぱい開脚して姿勢を落とし、避ける。避けられたとわかった瞬間、骸骨戦士たちはやはり、すばやく後退していく。だが。

 

「何のひねりもないヒット・アンド・アウェイに付き合う義理はない」

 

彼方は瘴気に身を隠そうとする骸骨戦士のうちの一体に狙いを定める。起立し、一歩、二歩と踏み込んで骸骨戦士に追いつく。踏み込んだ勢いのまま跳びあがって、骸骨戦士を頭から思いきり踏みつぶす。これで一体。

 

「次」

 

彼方は踵を返して他の骸骨戦士を探す。まだ彼らは身を隠しきれていない。一体に狙いを定め、今度は五歩、走りこんでその背中にぴったりとつける。そのまま、両手で頭をつかんで膝をたたきこみ、粉砕。これで二体。

 

「三体目は……さすがに隠れたか」

 

もう一体の骸骨戦士はやはり瘴気に隠れて見えなくなっている。彼方は構わず先に進むことにする。

 

5分ほど歩いたあと、彼方は再度の襲撃を受けることになる。
彼方は、蹄が地面を踏み鳴らすはっきりした音を背後に聞く。音はだんだんと大きくなり、やがて瘴気のなかから、骸骨馬にまたがってランスを構えた骸骨戦士、言うなれば骸骨騎士ボーンナイトが彼方に向かって飛び出してくる。

 

「また随分とうるさいな、奇襲はやめにしたのか?」

 

彼方は骸骨騎士の攻撃に一瞥をくれることもない。攻撃をある程度ひきつけてから、すばやいサイドステップを踏んで避ける。初撃をかわされた骸骨騎士は、彼方の横をまっすぐ走り抜けていって瘴気の中に消えていく。蹄の音が遠ざかる。彼方は追撃をしかけようかと一瞬考えたが、やめる。下草が多く、ローラーブレードが使えないこの環境では、背後から骸骨騎士のスピードに追い付くのは困難だ。

 

「走って追いつかれないようにしたらしいな。だが」

 

蹄の音がまた大きくなって彼方のほうに向かってくる。骸骨騎士が引き返してきたのだ。骸骨騎士はまたたく間に全身を見せると、彼方に猛然と突きを浴びせる。

彼方は、ほとんど音速に近い速さで迫ってくるランスの先端を、ためらいもなく、正面から蹴りつける。骸骨騎士は、スピードをのせた攻撃を強引に押しとどめられるかたちになり、骸骨馬ともどももんどりうって倒れこむ。地面にたたきつけられた骸骨たちは、痛覚があるのかないのか、がくがくと震えて立ち上がることができない。彼方はお構いなしに骸骨たちの頭蓋骨を踏みつぶしてとどめを刺す。

 

「仕掛けてきた瞬間に討ち取るまでのことだ」

 

彼方はまた、空間の中央へ向けて歩き始める。彼方の計算が正しければ、もうすぐそこというところまで来ているはずだ。

 

「さあ、君の力はこんなものじゃないだろ? 骸骨どもを2, 3体操るなんてことはどこの世界の死霊術師でもやっていることだ。君だけが使えるアドミンスキルとやらを使ってみるといい。私はそれを見にきたんだ……やはりここにいたな、レンラーラ」

 

彼方は、この半独立空間の中央、例の広場についに到達して、歩みを止める。レンラーラは、広場の中央、奇岩の上でどこかぎこちなさそうに座っている。

 

広場の端でつまらなそうに立っている空水彼方を、レンラーラは内心忸怩たる思いで見下ろす。

レンラーラは出し惜しみなどしていなかった。彼女のアドミンスキルは、まさに、どこの世界の死霊術師でもやっているようなこと――地面の下から骸骨たちを蘇らせて使役すること――でしかなかった。ただし、アドミンスキルと呼ぶに足るだけの特異性を一つだけ具えている。それは、この魔術が、人びとが半独立空間に同時接続するときのエネルギーによって駆動しているという点だ。そのため、レンラーラが一度に蘇らせて使役できる骸骨たちの数はその半独立空間に同時接続している人数に依存していた。具体的には、配信中、100人が同時接続すれば100体の、1000人が同時接続すれば1000体の骸骨をレンラーラは使役することができる。レンラーラの引退を記念する配信ともなれば、同時接続数50万人だって夢ではなかった。

しかしレンラーラは、恵まれた視聴者数をほとんど活かさずに空水彼方と戦うことにしていた。今日ばかりは視聴者達の力を借りるわけにはいかなかった。全ては、いまだ謎に包まれたニースの作戦に協力するためだった。

今晩レンラーラが使役できる骸骨たちの数はわずかに5体。そのうち4体は、すでに空水彼方に倒されてしまった。残す1体の骸骨でなんとか空水彼方を倒すしかない。レンラーラは、残す1体に切り札を残していないわけではなかったが、やはり状況の厳しさには胃が痛むところがある。

思わず、レンラーラの口から悲しみとあきらめのまじった声が洩れる。

 

「……会いたくなかった」

「あの程度の襲撃では私の歩みは止まらない、それはこれまでの2戦でもわかるだろう」

「……あの骸骨戦士たちにあなたを倒してもらえれば簡単だった、とか……そういうことじゃないです……」

「とは?」

「……この立場と、この状況で、あなたのようなひとに出会いたくなかったんです……」

「なるほど、それは私も同感だ。君と二度以上出会うことになったこと、正直なところ、非常に残念に思っている」

「……二度、出会った?」

「いや、気にしないでくれ、こちらの話だ。世界を渡り歩くようになると説明が面倒な設定が増えてくる」

「……そうですか。……あなたのような人には……本当に、わかりようがないんでしょうね。……出会いはかけがえのないもので……そのほとんどは失ってはいけなくて」

「わからないし、わかる気もない。さあ、いい加減に君の力を見せてくれ。殺る気はあるんだろ? ぐだぐだと話し込むべきことなんか私たちにはないはずだ」

 

レンラーラの眉がわずかに上がる。そう、たしかに話し込むような話題などなかったはずだ。

声の調子を落として、ほとんど独りごとのようにレンラーラは言う。

 

「……そうですね。……あなたを倒します、なんとしても。……目覚めて、骸骨竜スカルドラゴン

 

言うと、レンラーラが腰かけている例の奇岩の表面全体に一瞬にして亀裂が走る。奇岩の各部が内側からばっくりと割れて四方八方に飛び出す。丸めてあったアルミホイルのかたまりをほぐすように、飛び出した奇岩の各部が整理されていき、本来の形を取り戻す。

奇岩の正体は、折りたたまれたドラゴンの骨であった。そしていま、レンラーラはこのドラゴンの骨を第5のしもべ・骸骨竜として使役することを選んだ。

 

骸骨竜は、翼を大きく広げて彼方を威嚇する。対する彼方は、腕組みをして骸骨竜を見上げるだけで、動揺の色はない。骸骨竜の頭の上に立ったレンラーラが、息を吸って、叫ぶ。

 

「…………ブレス!」

 

指示を受けた骸骨竜は口から黒い炎を勢いよく吐き出す。炎が彼方を焼き尽くすかと思われた瞬間、レンラーラと骸骨竜の視界から彼方が消え、代わりに氷しか見えなくなる。

そこには、一瞬のうちに巨大な氷壁が現れている。巨大な骸骨竜の身長の優に5倍はあろうかという高さの氷壁だ。彼方を見失ったレンラーラは目を見開いてあたりを見回す。

 

彼方は氷壁の上にいる。腕組みをしたまま、うろたえたレンラーラを見下ろしている。
彼方は、数秒のあいだ観察していても、レンラーラがうろたえてきょろきょろしているばかりであるのを見ると、短くため息をつく。

彼方は、ローラーブレードのつま先で、こつこつ、と足元の氷壁を軽く叩く。すると氷壁は、骸骨竜のいる地面へ向けてゆっくりと倒れ始める。最初はきしむような小さな音が、そしてすぐに唸るような轟音が響いて、氷壁が骸骨竜の上にのしかかっていく。

轟音を耳にして、レンラーラもすぐに氷壁が倒れこんできていることに気付く。氷壁の下敷きになれば、レンラーラも骸骨竜も、当然命はない。しかしレンラーラが気づいたときには、骸骨竜のスピードでは氷壁が倒れこむ範囲から逃れることはすでに不可能になっていた。レンラーラはもう、絶望の表情で死を待つしかない。

 

彼方は、斜めになった氷壁の上から身を躍らせて、宙を歩いてその場を離れる。もうレンラーラのほうを振りむくこともしない。わりにありきたりな死霊術師であった相手から得ることなど、彼方にはない。

 

レンラーラは骸骨竜ともども氷壁に押しつぶされながら、ふと思う……最近の私は……今日の私などは特に……たくさんしゃべるようになったな、と……。