自分だけのスラムドッグ$ミリオネア……達成ならず!!

docs.google.com

↑共通テストというやつを受けた。

 

結果は100点満点中81点。覇権アニメを観る習慣がないのと電子ゲームがからきしなのがよくなくて、いまいち点数が伸びない。やや残念。

 

ここでひとつ立場を明確にしておくと、私はオタク知識は知識ではないと思っているので、この共通テストで点数が取れたとて取れなかったとて、人に自慢できたり人から褒められたりするようなものではないと思っている。まあ当たり前か。
自慢できなくとも褒められなくても、こういうちょうどいい難易度の……なんというか……バラエティクイズを解いている時間は、それだけでそれなりに楽しいものだ。だから、この共通テストというやつもきっと楽しかろうと思って受けて、やっぱり楽しかった。みなさんも受けてみたらいいんちゃう?

 

本題。
誰だってそうだと思うが、ある程度以上のボリュームがあるテストとかクイズとかを解いていると、人生の折々が思い出されてくるものだ。これって何かに似ているな……と思ったら、そう、あれだ、『スラムドッグ$ミリオネア』だ。
『スラムドッグ$ミリオネア』とは、2008年の映画で、スラム出身で貧しく学もない青年がクイズ番組『ミリオネア』に出演して、なぜかクイズに連続正解、その青年は人生の折々でたまたまクイズの答えにつながる事件に遭遇していたのだ、青年の回想が始まる……みたいなやつ。
今日は、共通テストを受けていたら思い出された私の人生のあれこれについて、いくつかピックアップして書き留めておこうと思う。もちろん、私の人生は小説でも映画でもないので、以下の文章にはとくだんの山やオチはない。多少のフェイクも混ぜていくので真実性も保証されない*1

 


私の回答:全体

 

以下、ピックアップ

 

[7] ポケットモンスター バイオレット

テラレイドバトルが遊べるポケモンのソフトについて問う問題。テラレイドバトルというのは、(たぶん)最新のナンバリングタイトルに(たぶん)登場する「テラスタル」という新システムに(たぶん)関係するバトルだろう。最新のナンバリングタイトルが「スカーレット/バイオレット」であることは強く印象に残っていた。
なぜ強く印象に残っていたのかというと、話は私の中学時代にさかのぼる。ある時期、私は1階男子トイレの掃除の当番だった。この1階男子トイレという場所、日ごろから気を付けていれば清潔に保つのはわりと簡単な一方、当番の人数は多く割かれているため、わりとだらだら掃除をしていて、掃除が面倒になってほかの掃除場所からフケて来た奴らのたまり場になっていることが多かった。私も、もちろん掃除はしたが、飽きてくると、トイレの当番たちとフケてきた奴らを交えてだべっていることが多かった。
ある日、話題になったのが『つぎのポケモンのタイトルは何と何になるか』という話だった。当時は最新作が「ブラック2/ホワイト2」だった頃だ。最初のうちはみんな「天/地」とか「月/星」とか「矛/盾」、なにかしらそれっぽい予想を挙げていたような気がするのだが、ふだん寡黙なA井がぽつりと「ピンク/パープル」と言ったのがその場にいる全員にたいそうウケて、そこからは大喜利の流れになった。「アメリカ/ロシア」とか「朱色/緋色」とか「弱肉/強食」とか……。
時は流れて、現在。コンビニなどで「スカーレット/バイオレット」が売られているのを見るたび思い出すのは、「そういえば『ポケットモンスター(パープル)』を予言していた奴が昔いたなあ、ということだ。それにしても、あの「ピンク/パープル」予想、当時は寡黙なA井なりの数か月に一度のボケだと思って疑わなかったが、いまにして思えば、ボケではなくガチだった気もしてくる。実際10年越しに予言は当たっているのだし。A井と今後の人生で会うことは二度とないだろうが、真相やいかに。


[8] 宇宙戦艦ヤマト

1977年にブームが到来したアニメ作品について問われた問題。選択肢はヤマト、ガンダムエヴァマクロスの4作品。エヴァが1990年代、マクロスが1980年代の作品なのは当然として、1977年にブームが到来していたのはヤマトとガンダムのどちらだったか?
ガンダムの主人公機であるガンダムの型式番号をきっかけにして答えが分かった。ガンダムの型式番号は「RX-78」。この“78”という数字はガンダムを企画していたのが1978年であったことに由来していたはずだ。だから『機動戦士ガンダム』の放送が始まったのはどんなに早くとも1978年(実際には1979年)。よって1977年にブームが到来するのはヤマト以外にあり得ない。
さて、ガンダムの型式番号が「RX-78」だというのはわりとライトなガノタでも覚えていることであるから、そこまでガンダムに詳しくない私*2であってもそのことを覚えているのはまあ当然というところ。ただ、私はいつからこのことを覚えているんだろう、と思ったとき、小学校時代の思い出が、私の場合、思い出される。
小学生の頃(というか今までずっとそうだが)、私の家にはゲーム機やトレカやバトルホビーといった流行りのおもちゃは何もなかった。こんなことを話すとひとからは「さぞや不満だったでしょう」と言われるものだが、実際のところ、友だちが持っているようなおもちゃを自分が持っていないことに、不満どころか疑問すら抱いていなかった。ゲーム機もトレカもバトルホビーも、触れること自体あまりなかったので、うらやましいと思うことがそもそもなかった。小学生時代の娯楽といえば、友達と放課後の校庭を走り回るか、図書室で借りた本を読むかぐらいだった。
そんな家庭だが、誕生日にはプレゼントを買ってもらえるし*3、これが欲しいあれが欲しいと注文を付けることすらした。私は何を欲しがったか? 流行りのおもちゃで遊びたいという気がない私にとって、自分にもイメージできるような娯楽、しかし普段の校庭や図書室では手に入らない至高の娯楽といえば、特撮やアニメのムック本だった。
忘れもしない、誕生日にねだって買ってもらったたくさんのムック本よ。『ウルトラマン99の謎』のような定番本や『平成仮面ライダー 英雄伝』のような入門本、必携の『全怪獣怪人』から、ムック本とはちょっと違うが『空想科学読本』のようなところまで……いずれも私のオタク知識の素地をなす本たちだ。そんな本たちのなかに、『僕たちの好きなガンダム』もあった。当時の私は、小学生にとっては最も重く、ぶ厚かったこの本を幾度となく開いて読み込んでいた。ガンダムやザクの型式番号、一年戦争の勃発年やホワイトベースの進行ルートなどなど、いくつものカタログ的情報を覚えた。もちろん、その情報のほとんどは今は忘れてしまっているが、ガンダムの企画が進行していたのは1978年、といったトリビアと結びついたいくつかは今でも頭に残っている。


[12] おそ松さん:C91からC97まで

おそ松さん』がコミケで単独ジャンルとして扱われた時期を問う問題。『おそ松さん』のブームは記憶に新しく、1期と2期なら私自身も新作として観ていた記憶がある。私にとって、高校時代か大学時代に人気だった作品とみて間違いないだろう。では、高校時代と大学時代のどちらにブームの最盛期が到来していたか?
自分の大学受験のときのことを思い出すと、答えが分かった。そう、第一志望の試験日の前日、私のガラケーに兄のスマホから久しぶりにメールが来たのだ。確か、あのメールは短いながらも素直な激励の言葉であり、最後は『マッスルマッスル』で締められていたはずだ。『マッスルマッスル』は『おそ松さん』は十四松の持ちネタなので、私が大学に入学する前には『おそ松さん』はすでにブームを迎えていることになる。
それにしても、ぎこちなく書かれた激励の言葉の最後にとってつけたように添えられた『マッスルマッスル』を思い出すと、いまでも口角がゆがむ(笑っています)。
兄は私と同じで、わりとアスp……こだわりが強く論理的推論能力に優れ共感性低めの人間なのだが、私とは違って、社会規範を守ろうとする意識の強い人間だ。ええと、なんといえばわかりやすい? 兄は悪く言えば“クソ真面目な男”であり、親しみを込めて言えば“不器用な男”だった。まあ私もたいがいクソが付くタイプの男だし不器用な男ではあるが、兄とはだいぶ方向性が違う。ついでに論理的推論の得意分野も理系と文系で正反対。そして一番重要なこと、私にとっての得意分野であれ不得意分野であれ、兄は私より頭がいい。
述べてきたことすべてを総合して、兄は私の尊敬の対象だった。第一志望の大学というのも兄が通っている大学だった。今も尊敬の念は変わらない。だから今も、不器用な男なりのぎこちないギャグを思い出すと口角が ゆ が む(私も私で不器用なのでわかりにくいですが、これでも笑っています)。

 

[18] 2016:君の名は。/2019:天気の子/2022:すずめの戸締まり

新海誠作品の公開順が問われる問題。私はなんだかんだ3作とも劇場で観た。それぞれの作品の公開時、私はどんな風に過ごしていたか。
君の名は。』を観たころは大学1年生か2年生で間違いない。当時の私は社会に出ることを極度に恐れていて、「大学生にもなったしバイトとかしなきゃ」とか思いつつどのバイトにするかを永遠に迷っているだけで働かず、結果、ケチだった。この頃、映画を観に行くといえば、ここぞというときにする大変な決意であった。『君の名は。』は、中学の時の友人K田(まあまあオタク)が地元から訪ねてきたときに「次いつ会うかもわからないからちょっと特別なことを」と思いつつ一緒に観にいった記憶がある。その特別感も含めて、満足な映画体験として記憶している。
『天気の子』を観たころは大学4年生か5年生だろう。あの頃、私は新海誠作品への関心がそんなに高くなくて観に行くかどうかだいぶ迷っていた。そのうちに、大学の男友達O山(まあまあオタク)と女友達J野(まあまあオタク)が連れ立って『天気の子』を観に行っていたことを知る。私が感想を訊いたところ、彼らは「観に行きましたけど、記憶がないです。上映してなかったのかもしれません」などと述べた(私の周りでは、この言葉は「あんまりよくなかった」のマイナーな婉曲表現の一つとされていた)。それで興味を持った私は後にひとりで『天気の子』を観に行ったのだった。感想としては、よくわからない映画だった。
ところで、『天気の子』の公開も終わってからしばらくして、O山とJ野について、また別の男友達I田から「あいつらって付き合ってんの?」と私が訊かれたことがあった。私は「知らんけど、友達以上恋人未満みたいな感じじゃない?」とかなんとか答えたのだったが、それから少し後、彼らがずっと付き合っていたことを知った。驚きというほどでもないがまあまあ意外に思った。なんというか、彼らが恋愛とかをしたがったり実際にしたりするタイプの人間(つまり普通の人間)だということが私にはイメージできていなかったのだ。彼らのことを自分と同系統の人間だと勝手に思い込んでいたが、人間はそれほど少ない系統では分けられていないらしい。それ以前もそれ以降も、私には男女のことはよくわからない。
『すずめの戸締まり』を観たころは、大学を出て、一つ目の職場を辞めてニートに……じゃなかった、いちおう就活していたころだ。その頃までにはコロナ禍があったので、インターネットテレビ電話みたいなやつ?に世の中はすっかり慣れていて、私も(好きではないが)まあまあ慣れてきていた。そこで、私と例の中学の時の友人K田は各々が暮らす街で『すずめの戸締まり』を観て、観終わった後テレビ電話で感想を話すなどしたものだった。
どうでもいいが、その頃はその友人もニート……違う、フリーターと化していたから、お互い自由な時間が多く、平日の昼間から暖房のきいた室内で吞気に通話していたことを思い出す。思えばK田は、金を稼ごうとか出世しようといった欲求の薄い奴だった。ついでに言えば、恋愛とかをしたがったり実際にしたりするタイプでもなかった。これから先の人生に、出世も恋愛も結婚もおそらくは想定しておらず、ライフサイクルの吹き溜まりのようなところに入り込んだK田のことは、私はいまでも、自分と同系統だとみなすことができる。失礼か? 失礼ではある。

 

[23] のらくろ

田川水泡が1931年から連載開始したマンガを問う問題。戦前・戦中のマンガとしてもっとも有名な『のらくろ』のことであるから、さすがに作者名くらいは見ればわかる。
のらくろ』といえば思い出されるのが、中学時代の友人H木の愛犬のことだ。
H木は実におしゃべり好きな奴で、仲もよかった(私はそう思っている)から、色々な話をした。色々な話のなかに、H木の愛犬が可愛いという話もあった。たまにH木のスマホで写真を見せられた。顔の下のほうがもじゃもじゃで、目がくりくりとした、まあなるほどぼちぼち可愛らしい小型犬がそこには映っていた(今調べた限りでは、H木の愛犬はミニチュアシュナウザーだったと思われる)。いちど、H木と愛犬が公園で遊んでいるときに見知らぬ年配の女性から「あ、のらくろみたいでかわいい」と声をかけられ、その女性と仲良くなったことなどもあったらしい。
なお、私は、動物のことを“畜生”と呼んではばからないくらいには動物への関心が薄かったので、H木の愛犬の話に「へえ」とか言いながら薄い反応を返すことが主だった気がする。そんな反応でもお構いなしに話し続ける話、これがH木がする話の場合は面白かった。
そういえば、私が自分からH木に犬の話題を振ったことが一度だけあった。私は、H木に「小型犬飼ってたよね? 小型犬の寿命ってどれくらいなの?」と訊いたのだった(今思えば、急に問いかけるにはややセンシティブな話題だ……)。H木は、私の側から話題を振られたのが多少はうれしかったのか、そうでもなかったのかわからないが、「10年から15年くらいの子が多い」とか「でもうちの子は長生きしてるほう」とか「小型犬と一口に言ってもいろいろな種類が……」とか「ほかにはこんな事例が……」とか、熱心に色々教えてくれた。私としては、犬全般への興味があったわけでは別段なく、ただ、当時『オズの魔法使い』の後日談二次創作を書こうと試みていたために、小型犬の寿命を知っていそうなひとに訊いたまでなのだが、このときの会話は妙に印象に残っている。
そう、中学卒業から10年くらい経ったとき、中学当時は持っていなかった私のスマホに、H木から突然のメールが届いたことがあった。内容は同窓会の連絡だった。中学の同級生で私の今の連絡先を知っている人はほとんどいないので、わりに私とは仲が良かったほうだったH木が、同窓会の幹事でもないのに、特に気をまわしてくれたのだろう。そんなことを思うとうれしくて、同窓会に行く気はなかったが、同窓会とは関係ない話題で1往復余計にメールしてしまった。そのとき、「そういえばあの犬は元気?」とも訊きそうになったが、こらえた。それはあの頃と比べて私が社会性を身に着けたからではなく、今はもはや『オズの魔法使い』の二次創作を試みていないから。

 

[30] 王立ヘルエスタ高校

リゼ皇女殿下について私にぎりぎりいえるのは、たぶんヘルエスタ王国の第一第二第三皇女であらせられる、という程度。まして、ヘルエスタ王国については何も言えることはないので、全く関係ない静岡県の話をする。
静岡県には、小さい頃5年ほど住んだことがある。いままで住んだことのある街の中でもいちばん愛着のある場所だ。ひとから故郷を訊かれたとき、まずは静岡の名を挙げることにしている。かの地を離れてから、時間も距離も遠ざかっていくばかりなので、最近の情勢などはわからないが……。
静岡県というのは日本地図で遠く見える以上に遠い場所だ。新幹線で簡単に行けそうに思えるが、実は、静岡県には東海道新幹線の駅が6駅もあるのにのぞみはそのすべてを通過してしまうのでひかりかこだまで到達しなければならない(ひかりであってもものによってはすべての駅を通過してしまう)。“東海道”新幹線と銘打っているくせに“遠江”こと静岡県のことはまるで重視されていない*4。まあどっちにせよ、私は新幹線使うほどリッチじゃないがな……。
交通ばかりでなく情報に関しても、静岡県、その位置の割にはどうも遅れている感がある。静岡県はそこに暮らすオタクからは“アニメ不毛の地”などと呼ばれていた。どういう意味かというと、深夜アニメとテレビ東京系のアニメが、静岡県においては、朝05:00とかいうありえない早朝に放送されたり、1か月遅れで放送されたり、あるいはまったく放送されなかったりすることを指している。いまにして思えば、「まあガチ田舎と比べればそこまで大したことないかもな……」という感じだが、小さかった当時としては、「よそよりもアニメが見られない我々は不幸」と思っていたものだ。
新作アニメがろくに放送されない代わりなのかなんなのか、平日夕方週4くらいでしつこく放送され続けていたのは、『キテレツ大百科』や『こち亀』だ(ほか、『タッチ』や『キャプテン翼』なんかの印象も少しある)。新作が放送されないのが不幸だなんだと思いつつ、たくさん観た『キテレツ大百科』は非常に好きになった。私が今になっても、どちらかといえば日常的なストーリー、ただエピソードごとの起承転結がはっきりしているようなアニメを好むのは、幼少期の『キテレツ大百科』経験に好みを規定されたという面が強いのかもしれない*5*6
いずれにせよ、私は観られるアニメで好みを育て、なんだかんだでオタクになった。私が、故郷から持ち出したのはこの好みだけで、ほかのすべてのものは静岡県において来たらしい。
静岡県を出てから何度か引っ越しを繰り返した私は、あまりに遠くなった故郷からたまに届く同窓会の誘いを、もう断ることしかできない。

 

 


※ もしこの記事を読んで「この記事の筆者って知り合いじゃね?」と思った人がいても、できれば連絡とかはよこさないでくださると嬉しいです。同窓会のお誘いはお気持ちだけお受け取りします。私の思い出は、良いとか悪い以前に、遠い、あまりにも遠いのです。たとえ鮮明に思い出せたとしても。

*1:この記事とは特に関係ないが、『スラムドッグ$ミリオネア』をイメージソースにしたブログ記事といえばタイドプールに素敵な記事がある。私のこんな記事よりもそっちを読もう。

*2:実は宇宙世紀ガンダムのアニメシリーズはひとつもちゃんと観たことがない。

*3:プレゼントの手数と金額でいうなら、同世代平均よりもたくさんもらっていたほうだと思う。恵まれている。

*4:静岡県に住んでいたころは、東海地方を構成する県といえば、静岡県はその代表格、だと思っていたものだ。だが大人になると気づく。静岡県、東海三県からハブられているのだ。じゃあ静岡県ってどこ所属なんだよ。中部地方か? まあ中部地方に関しては間違いない。

*5:観たことがないひとにはわからづらいだろうが、アニメ版『キテレツ大百科』はアニメ版『ドラえもん』ほどはひみつ道具ドリブンでお話が進まず、どちらかといえば状況ドリブンでひみつ道具(発明品)があとから出てきて状況を転がす話が多い。だから、寓話チックなシンプルなストーリーが多い『ドラえもん』に対して、『キテレツ大百科』は味のあるストーリーが多い、というのが私の主張である。

*6:最近の静岡県、きくところによれば、アニメ不毛の地としての状況は幾分緩和され、逆に『キテレツ大百科』の放送枠は消滅し、また、そもそも時代が配信全盛になってきたことによって、状況は私が住んでいたころとは大きく違うらしい。