亜人ゴッドマザーズ

前回:Once Upon a Time in a Multiverseむかしむかし、あるせかいで

 

1

論理空間に存在する無数の世界のうちの一つ、天上界セレスティアルワールド。そこは人間や妖精や妖怪や幻獣の類が社会を作って暮らしている世界であり、また、科学ではなく魔法が発展して人間その他もろもろの欠かせないインフラになっている世界である。

その天上界に、魔法科の学院で揃って優秀な成績をおさめた幼馴染7人組がいた。彼女たちは、学院の卒業後すぐ、最高の実力を持った若手魔法使い集団として名声をあげるようになった。彼女たちこそCelestiaセレスティアである。

あるとき、Celestiaの7人はひょんなことから異世界のゲームに興味を持つ。そして、自分たちが異世界のゲームを楽しんだり勉強したりする様子をその異世界の住人へ伝えたいと考え始める。彼女たちは空間魔法の専門家に発注して天上界のなかに7つの半独立空間チャンネルを作り、そこを拠点にして異世界のゲームのプレイ実況動画を異世界向けに配信することにした。

Celestiaの7人は天上界においてはほとんど敵なし、とくに自分の所有する半独立空間では神にも等しい力を持っている。しかし、異世界のゲームをプレイする限りでは彼女たちはまだまだ初心者。異世界のゲームを極めるため、彼女たちの戦いは続く……。

 

というのが、Celestiaの基本設定である。もちろん、Celestiaの7人にとってこの設定は彼女たち自身の人生に関する偽りなき事実なのだが、天上界の外には、この設定をフィクションとして考案した者もいる。

まさしくこの基本設定を考案した人物……そして、このたび問題となっている追加キャラクターをも考案した人物である、バーチャル美少女仙人のうるふ老師が頭を搔きながら言う。

 

「いやー、ほんと申し訳ないやね、昨日の件はさ。私の考えたキャラが勝手に動き出して宣戦布告しちゃうとはねー。まああの『空水彼方』企画を書いたときは我ながらけっこう筆がノってはいたんだけどさ、さすがに君らに許可なく勝手に天上界を滅ぼし始めるとね、へへへ。……ねえ、黙ってないで、みんななんか言ってよ」

 

ここはCelestiaのメンバーであるツグミが所有する半独立空間。青空の下にグランドキャニオンのようなオレンジ色の岩場が延々と広がり、銀色のドーム状の建物が点在している。そんな大地の一隅にパイプ椅子が並べられ、10人のVtuberが輪になって座っている。昨日の一件を受け、今後の方針について話し合うために集まったのだ。

 

10人のうち7人はCelestiaのメンバーだ。

いつも通りの真顔で腕組みをしていて、何を考えているのか、はた目にはよく分からないのがニース。ジョブは神官で、好きなゲームはTRPG。

自分がアイドルとして見られている意識を絶やさず、いまこの会議の席でさえ歌番組のゲストのようにかしこまって座っているのがツグミ。ジョブは時間魔術師で、好きなゲームはFPS。

知り合いで占められたこの会議の場でも、借りてきた猫のようにおどおどと周囲の反応をうかがっているのはレンラーラ。ジョブは死霊術師で、好きなゲームはソリティア全般。

周りの人間が口を開く前に飲み物でも食べ物でもすぐに持ってこよう、そんな運動部の元気のいい後輩のような気遣いで周囲を観察するのがレイ。ジョブは格闘家で、好きなゲームは対戦格闘ゲーム。

アフタヌーンティーを楽しむお嬢様のように、背筋を伸ばしながらも悠然と腰かけているのがパリラ。ジョブは空間魔術師で、好きなゲームは脱出ゲーム。

デートに遅刻してくる恋人に待たされている娘のように、そわそわいらいらしているのがアリア。ジョブは催眠術師で、好きなゲームはノベルゲーム。

そして、交代を待つベンチ選手のように、いつでも立ち上がれる雰囲気を漂わせながらもどこか影が薄いのがツバメ。ジョブは魔法戦士で、好きなゲームはTPS。

 

10人のうち残りの3人は、クリエイター系VtuberギルドであるArtisanアーチザンに所属するVtuber。天上界の外から訪れた客人である。

ショートカットの青みがかった髪を乱雑に掻いているのは美少女仙人のうるふ老師。Vtuberのかたわら現役ラノベ作家としても活動しており、その創作力を見込まれて、Vtuberの企画の相談に乗ることもしばしば。Celestiaの基本設定も彼女が創り出したものだ。

長い金髪のツインテールの先を指でもてあそびながら、うるふ老師の発言に苦笑しているのが美少女エルフのアシルシア先生。もともと自作の3DモデルでVtuberをしていたが、その3Dモデルの美しさが評判を呼び、他のVtuberの依頼で3Dモデルを制作するようになったモデラー。彼女が普段いる世界では、Celestiaの3Dボディも彼女が生み出したものであるらしい。

めんどくさそうに浅く腰かけて空を見ているので、赤髪のポニーテールが後頭部からだらりと垂れ下がっているのがオニ族の美少女、ローチカ博士。また、Celestiaの発注を受けて7つの半独立空間を作った3D空間エンジニアでもある。もともと表には出たがらない性格なのだが、ニースに丸め込まれてCelestiaの動画に何度か出演させられているうちに、彼女もVtuberだということになってしまっている。

 

Artisanの3人は、Celestiaから緊急の招きを受けて天上界にあるツグミの半独立空間まで来た。そこで、うるふ老師が事前にCelestiaに渡していた企画書と、空水彼方のデビュー配信、そしてCelestiaのもとに届いた虹色の便箋を見せられ、事態の深刻さを認識した。いままさに天上界には亡びの時が迫っているのだ。

 

30秒ほどの沈黙ののち、やっとツグミが口を開く。

 

「今回皆さんにお集まりいただいたのは、今後の方針決めたりとか、作戦会議とかしたかったからなんですが。それより先に、あのー、老師。あのかっこいい新人さん……空水彼方さんは、あなたが指示してデビューさせたんですか?」

「それは断じて違う。私はあくまで企画案としてあの子を創り出しただけで、実際にあの企画を採用するかどうかは君たちが決めることだと思ってるよ。だから、私から誰かにデビューするよう指示することもないし、そもそも、君たち7人以外には企画書を見せてもいない」

「じゃあ、誰かが偶然にもうるふ老師とよく似た発想で新人Vtuberを生み出してデビューさせたんでしょうか?」

「それはねー、確かに全くあり得ないわけじゃないけど、まずないと思うんだよな。十中八九、あの『空水彼方』は私が生み出した『空水彼方』そのもの、ご本人。なんでかって言えば、名前が一致してるってのもそうだし、第一、私のセンスにドンピシャ過ぎない?」

「老師のセンス? 具体的にどこですか?」

「世界を滅ぼしにきたラスボスが銀髪紅眼の美少女ってとこだあよ。べつに世界を滅ぼすんなら男でも人外でも何でもいいわけね。そこで銀髪紅眼の美少女がラスボスとしてピックされるんだから、何書いてても美少女ばっかりになっちゃう私の悪いところ出てるわなー」

「……」

 

口をすぼめて困惑の表情を作るツグミ。今度はニースが代わりにしゃべり始める。

 

「じゃあうるふ老師は、自分はあくまで『空水彼方』さんの設定を考案しただけで、彼女が実際に私たちを殺しに来たことに関しては責任がない、と言いたいということですか」

「うん? まあそういうことにもなんのかな、たぶんそうだね」

「ちょっとそれってどうなんですかね?」

「どう、って?」

「虫が良すぎるんじゃないかってことです」

 

ニースはちらとローチカ博士のほうを見る。ニースは話し続ける。

 

「例えば……悪意を持った消費者が、ある製品を製造者の意図とは違う方法で悪用したとしても、製造者はその悪用の責任を問われないでしょう。しかし、悪意のない消費者でも自然に使っているだけで悪用につながる製品なら? あるいは、消費者などいなくても勝手に動き出して悪さを働く製品なら? 製造者は起こってしまったことに対して一定の責任を持つんじゃないですかね」

「そのたとえ話、今回の件に全然似てなくね?」

 

ニースも内心あんまり似てないたとえ話だとは思っていた。しかしこんな詭弁でも、意外なひとの心に響いたり響かなかったりする。

ここでおもむろに上体を起こすのはローチカ博士だ。彼女はやや苛立たしげにメガネをおさえ、かちりと音が鳴る。

 

「確かによ、製造者の責任云々のハナシを今回のうるふの不始末に結びつけるのはだいぶ無理があることではあるな、わかるぜ。第一、『空水彼方を製造したら勝手に動き始める』なんて事態には予見可能性がまるでねえから、この度の一件に関してウチのうるふが責任をとる義理なんざ一ミリもないのかもしれねえ。しかしだな、うるふが仮にも職人アーチザンを名乗るんなら、責任のあるなしを超えて、一度創り出しちまったモンに対してできるだけのアフターフォローはしてやりてえとは思うかもな」

 

ローチカ博士の言葉を聞いてニースの言葉にも多少の喜びがこもる。

 

「さすがローチカ博士、いいことを言います」

「けっ、なにが『いいことを言います』だよ。ニースお前、今日は『うるふはアフターフォローをしろ』って言わせるためだけに関係ねえあたしまで呼び出したんだろ」

違います●●●●。私が『いいこと言うなあ』と思ったのは『ウチのうるふが……』の部分です」

「は?」

「うるふ老師個人が、ではなく、うるふ老師を抱えるArtisanのみなさんが、空水彼方の暴走に対してアフターフォローをしてくれる、そういうことじゃないんですかね?」

「かまととぶりやがって……!」

 

ローチカ博士はニースの意図を察する。ニースは、天上界が宣戦布告をうける、という今回の困った状況に対処するため、複数の部外者を助っ人として巻きこもうとしているのだ。そして、困った状況の原因の一端であるうるふ老師を『責任をとってもらう』とかいった理屈で巻き込むのは当然として、うるふ老師以外の2人をも同じ『責任をとってもらう』という理屈で状況への対処に巻き込もうとしている。

 

「助けが欲しいんなら欲しいってはっきり言やいいだろ。そんな会話ゲームなんかしなくてもはっきり頼めば助けてくれるかもって思わなかったのかよ、これだから若いやつはさあ! いいよ、空水彼方の一件に関して何かお前らが対処したいときは、あたしはあたしの一存でできることは全部協力してやる」

「約束ですね?」

「約束だよ! それで満足か?」

「まことに」

 

ローチカ博士が丸め込まれる瞬間を目の当たりにしたうるふ老師がけたけたと笑いはじめ、博士はうるふ老師をにらみつける。

 

「うるふ、てめえはもちろんCelestiaのやつらに協力してやれよ?」

「え、私はローチカみたく責任感もないし、協力するわけなくね?」

「殺すぞ」

「じょーだんじょーだん、私も協力するって。私の新作『空水彼方』がメーワクかけたぶん、なんでもお手伝いしましょうや。責任どうこう以前に、なんか面白くなりそうだしね」

「カスが」

「アシルシアはどーなの? Celestiaのみんなに協力するの?」

「ん、私? 私はもちろん協力するよー」

 

突然話を振られたアシルシアだが、協力すること自体には迷いはなかった。Artisanの3人のうちでも、Celestiaの7人と最も個人的に仲が良かったのは彼女なのだ。しかし彼女は何かがしっくりこないとでも言いたげに両人差し指をこめかみにあてる。

 

「協力なんて全然する、めっちゃするんだけどさ、なんかそれ以前の問題がでかすぎない? なんかキミたち、大事なところ避けて話してない?」

 

ツグミが両眉をあげて聞き返す。

 

「どういうことですか?」

「いやさー、私こういうチューショーテキなことはうまくいえないんだけど。なんていうのかなー、空水彼方ちゃんって、ゲームを提案してきたんでしょ。『Celestiaが勝てば天上界は現実、空水彼方が勝てば天上界はフィクション』っていうゲーム。でもCelestiaのみんなって、このゲームに参加する意味ある? キミたちは最初っから自分のことフィクションだって認識してるんだからさ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

 

2

思えば、アシルシア先生の言う通り、ツグミやニースたちは問題の核心に触れるのを無意識に避けていたのかもしれない。そう、空水彼方のいう『私に勝たなければ、世界をフィクションにしてやる』という脅迫は、おそらく彼女の狙った通りの効果をあげてはいない。誰かにフィクションにされるまでもなく、天上界はいつだってフィクションだったし、これからもフィクションなのだ。

いつからこんな価値観になったのか。時期は50年前、若手魔導士レチャンがなんとかいう論文において『間世界対称律』と呼ばれるアイデアを発表したころからだ。間世界対称律とは、大雑把には『ある世界Xがある世界Yにおけるフィクションであるとき、同時に世界Yは世界Xにおけるフィクションである』というアイデアであり、そのアイデアは主流派の学者のあいだですぐに受け入れられ、異世界理論の定説とされるようになった。

実際のところ、間世界対称律には競合理論との間にどのような差異があり、どのような過程で主流派の学者に受け入れられていったのか、といった細かい経緯については、Celestiaの7人はよく知らない。エルフ語で書かれたレチャンの原論文を読んだことがあるのだってニースくらいのものだろう。ただ、間世界対称律というアイデアの概要だけならば、7人全員が学院で当たり前に習ってきたことであり、あえて疑うようなアイデアではなかった。だから7人は、彼女たちが生まれ育ってきた世界・天上界が、異世界からみればフィクションである、という可能性を当たり前に感じられる。

7人にとって身近な“異世界”とはすなわち、視聴者たちがいる世界のことである。天上界からすれば、視聴者なるものはモノリス内に住まう言理の妖精が気まぐれに作り出した文字列に過ぎないのだが、視聴者たちの世界からすれば、Celestiaなるものはある種の職能を持った人間が創り出した影に過ぎないのだろう。そして、7人は自身の人生をリアルな体験としていつも感じ続けているが、この人生が同時に、どこか異世界の見も知らぬ人間がみる夢であったとしても、そこに何の矛盾もないのだ。たとえ夢が次の瞬間覚めてしまうとしても。

 

ニースがゆっくりと話し始める。

 

「虹色の便箋を開いたとき、私、ちょっと困ったんです。自分が何に困ったのか、そのときはよくわかりませんでしたが、いまわかったような気がします。空水彼方さんがこの世界から現実指標を奪っていったとして、『だから何?』なんですよね。この世界は最初からフィクションだったし、もうすぐ終わる気ですらいたんだから。空水彼方さんのゲームにのらなかったところで、私たちの人生と世界を取り巻く状況はさほど変わりはしない。ゲームに参加する意味がないっていうのはそういうことですよね、アシルシア先生?」

「んー、たぶんそういうことだと思う」

 

パリラが小首をかしげて言う。

 

「ならば、わたくしたちは空水彼方さんのことを、ただ相手にしなければいいのではないかしら。無視、までいかなくても、ゲームに乗る気がないということだけはっきり申し上げていれば、彼女は、わたくしたちが痛みを感じることもないほどすみやかに世界を終わらせてくださる可能性もありうるのでは?」

 

うるふ老師が答えた。

 

「私の知る限り、空水彼方って女は根っこのところはわりと効率厨だかんなー。君らがゲームに乗らないってわかったら、無駄に君らをいたぶるだけの関心もなく、この世界を速攻終わらせるだろうね」

「本当にそうなら、空水彼方さんには『あなたのゲームには乗らない』とだけお伝えする、ということでいいのではないでしょうか? もちろん、それで天上界が終わってしまって、これといった引退企画もできなかったとしたら、少しばかり地味な幕切れにはなってしまうかもしれません。でも、わたくしたちではない、あの空水彼方さんが勝手にお決めになった企画が最後の企画になってしまうよりかは、地味な幕切れになったほうがまだマシではないかと、わたくしは思いますわ。どうでしょう、みなさま? 彼女にサレンダーを告げるというのは?」

 

パリラの問いかけに、ツグミ、ツバメ、アリア、レイ、ニースの5人がためらいがちにうなずく。遅れてレンラーラが小さな声で言った。

 

「……私は……視聴者さんたちに迷惑がかからない方法であれば、賛成です」

 

Celestiaの意思がおおむねまとまろうというところでうるふ老師が口をはさむ。

 

「あー、ちょっとよろしいか? いや、これは全然憶測なんだけど、君たちが速攻ゲームを降りたとして、視聴者に迷惑が掛からないかどうかはよくわからない、というか、ガンガン迷惑がかかる気はする」

「……どうしてですか?」

「えーとな、君たちのその、虹色の便箋だけを見る限り、空水彼方ってえ女は世界を股にかけて存在しているっぽい。言い方を変えると、“異世界旅行者”って感じかね? でも、異世界旅行者なんてものがいたらどんな理不尽な現れ方をしてもよさそうなのに、彼女は私の書いた企画書を介して君たちの天上界に現れた。ひょっとすると……これはひょっとするとの域を出ないけど……空水彼方はフィクションから現実へのみ移動していく異世界旅行者なんじゃないのかね? 言い換えるなら、空水彼方が世界間を移動していく方向は決まっているんじゃないか、ってこと。だとしたらさ、君たちの世界が滅んだ後に空水彼方が向かうのは、君たちの大事な視聴者の住んでる世界なのかもしれないじゃん?」

「……それは困るかもしれません……」

「いやさ、もちろん、その視聴者だって君たちんとこの世界で生み出されたひとつのフィクションに過ぎないわけだからさ、べつに君たちの次に視聴者が滅んでもいいっちゃいいのよね」

「……いえ、やっぱり困ります。……視聴者さんたちの世界は……まだ滅んじゃいけないんです」

「?」

「……視聴者さんたちは……みんなが私たちみたいに満足したわけじゃないんです。……これからさき成し遂げたいことがあるひとがたくさんいるんです……」

 

アリアがレンラーラにたずねる。

 

「じゃあレンラーラは『ゲームを降りるのはやっぱりナシ』って感じかしら?」

「はっ、はいっ……ごめんなさい、意見をころころ変えて……」

「そんな、いいわよ。なんだか私も気が変わってきたもの」

「……アリアさんも……視聴者さんたちが心配ですか?」

「べ、べつに視聴者たちなんかどうでもいいわよ。ただ、あの空気読めない新人が向こうからふっかけてきたゲームをただ降りるのが気に食わないってだけ。あの子をコテンパンにしてやりたいだけなんだから」

「……」

「ごめんみんな、やっぱりサレンダーせずに戦ってみるっていうのはどうかしら?」

 

レンラーラとアリアを除いた5人が、口々に「そういう場合ならね」とか「2人が戦うなら」などと2人への賛意を口にする。

若干いぶかしげに眉をひそめたローチカ博士が口をはさむ。

 

「あー、こういうあいまいなアドバイスはあんまり言いたくねえんだがな、お前ら、手段と目的は明確にしといたほうがいいぜ。『視聴者の世界を滅ぼさない』か『空水彼方をコテンパンにする』か、どっちが目的でどっちが手段って明確にしといたほうがいい。どっちにせよすることはほとんど変わらないかもしれねえが、曖昧にしとくとここぞってとこで迷いが出るからな」

 

博士の言を聞いた7人は、顔を見合わせ、そして一瞬のちに全員が微笑する。そう、このときニースも微笑する。

それは少し不思議なことで、Celestiaの7人には、言葉を交わすことなく全員の意見を一致させなおかつ意見が一致していることがお互いにわかり、同時に微笑する、という瞬間が、まれではあるが存在した。Celestiaとかかわりの深いArtisanの3人でもまだ数回しか目にしたことのない、まれな瞬間がいまこのときも訪れている。

 

「どうやらハラは決まったらしいな。どっちに決めたのかは知らねえが」

 

7人を代表してツグミが答える。

 

「はい、私たちの方針は決まりました」

「いずれにせよ、空水彼方とは戦うわけだな」

「はい。さあ、ここからは作戦会議です」

 

方針が決まった7人は、そこからは作戦会議ということで、対空水彼方の大まかな戦略を決めていく。

やがて決まった戦略はこうだ。7人は、表面上は、空水彼方が決めたとおり、7日間かけて1日1人ずつが空水彼方と単独で戦闘する。単独での戦闘を有利に運ぶため、それぞれがそれぞれの戦闘の準備をする。しかし、7人が目指すのは、単独での勝利ではなく、あくまでチームとして1つの目的を達成することだ。7人は、単独戦闘の準備と並行して目的達成のための最終作戦を準備する。

さて、肝心の最終作戦の内容だが、これはなかなか決まらなかった。現状の彼女たちには、空水彼方という存在に対する知識があまりにも足りないのだ。

 

眉根を指で押さえながらツグミがいう。

 

「うーん、いまここで最終作戦の内容を決めるのは無理みたい。ちょっと不安だけど、7日間のなかで情報が集まり次第、最終作戦の内容を詰めていくことにしよう。みんな、各自の単独戦闘では、なるべく多く空水彼方の情報を引き出すよう努力して。そして、集まった情報の分析役が誰か必要だから……アリア、人の心の機微に敏感なあなたが敵の分析を行ってくれないかな」

「私が? あんなのの考えてることなんかわかんないわよ」

「そう? アリアが一番向いてるって、私は思うよ!」

「まあ、ツグミがそう言うんなら、やらないこともないわ」

「あと、ツバメちゃん。変身魔法もけっこうできたよね。分析役のアリアと相談しながら、空水彼方さんの能力を再現してみて欲しい。きっとみんなの単独戦闘の練習相手とかにもなれると思うから」

「私? 並の敵だったら変身魔法で再現できるけど、空水彼方さんの能力はさすがに規格外すぎて100%は再現できないよ」

「いや、空水彼方さんとツバメちゃんは両方、身体能力重視のタイプに見えるから、100%再現までいかなくても、要点をとらえた再現ができるよ」

「……がんばってみる」

「そして、情報が集まったら、最終作戦の細部を詰めていく。空水彼方さんの虚をつけるような、斬新で、緻密な作戦……ニース、明日から最終作戦の細部を詰めていくのはあなたにお願いしたい」

「私、か……。わかった、やってみる」

「期待しているよ!」

 

ここでうるふ老師が口をはさむ。

 

「あー、ちょっといいかね? 戦いながら空水彼方の情報を集めて、最終作戦を立てていこうっていうのはだいたい理解できたんだけどね、なんかちょっとそれじゃ足りないかもって思うのがさ、あの、虹色の便箋のことなんだよね」

「虹色の便箋?」

「そう。作者の私にはわかるんだけどね、空水彼方のことをいくら研究しても虹色の便箋のことはさっぱりわからないハズ。あれはあの子が自分で送ったものじゃないって感じがすごくするのよね。あれは異物。空水彼方とは別の人間が出してると思う」

「う、うーん? 空水彼方さんって、うるふ老師の想像の範疇にないことも平気で行うんですよね? うるふ老師が違和感を感じてるとしても、虹色の便箋の送り主が空水彼方さんじゃないって考える根拠にはあまりならないような気がするんですが」

「いや、あれはちょっと作者の想像を超えてるとかじゃなくて、根本的に空水彼方の在り方にはないモノなんだよな……」

「ちょっとよくわかりませんが、うるふ老師がそこまでいうなら、空水彼方さんの分析とはべつに虹色の便箋の分析も必要ですね。しかし、うるふ老師にとっても違和感のあるものをいったいどう調べれば……」

 

レンラーラがおずおずと手を挙げる。

 

「……あの、ちょっとだけ心当たりあります……私が虹色の便箋の情報を得られないか、がんばってみます」

「レンラーラ! お願い」

「……はい」

「これで、当面の戦略も固まってきたね」

 

アシルシア先生が言う。

 

「で、キミたちさ、役割分担も決まってきたみたいだけど、差し迫った今日の単独戦闘についてはどうするの? 誰でいくの? もう準備時間もそんなにないけど」

 

この言葉に、7人は思わず背筋をこわばらせる。彼女たちを緊張させるのは、死の恐怖でも戦いの恐怖でもない。ただ、少ない準備時間でどんな戦闘を演じれば、後に続くはずの仲間に有益な情報をもたらせるのか、その道筋が見えないことによってのみ、彼女たちは緊張する。

しかし、ツグミはつとめて緊張を見せずに言う。

 

「今日は、私がやります」

 

その場にいる全員が、いくばくかの驚きを込めてツグミを見た。

 

「……そうなんだ。どう、うまくいきそう?」

「正直言ってわかりません。空水彼方さんからなるべく多くの手札を引き出しながら戦って、あわよくば倒したい、とは思っています。でも、どうすればそうできるのか……。でも、思うんです。はっきり言って、今日の戦いにはほかのみんなが作戦を進めるための時間稼ぎという側面があると思います。ほら、“時間”稼ぎですからね、時間魔術師の私が一番適任じゃないですか?」

 

その言葉の最後には、わずかな震えが隠しきれていない。

 

3

その日の夕方、空水彼方とCelestiaとの間で短い打ち合わせの時間が持たれ、戦闘の細かいルールが決められた。

 

Celestiaは7日間それぞれの日の戦闘場所として、7つの半独立空間を事前に指定する。
また、基本的に戦闘時間は毎日19時から24時までの間とする。空水彼方は、戦闘時間のあいだ、Celestiaが指定した特定の半独立空間内に留まることを保証する。

また、空水彼方は、Celestiaメンバーに直接の危害を加えるのは戦闘時間のあいだに限ることを保証する。ただし、空水彼方は戦闘時間以外の時間でも自らの防衛に専念した行動ならばとることができる。

Celestiaとしては、戦闘時間以外の時間に、反撃できない空水彼方を襲撃するという方策を選ぶこともできる。しかし、空水彼方が冷静に述べ、Celestiaの7人も納得したのは、この方策はさほど得策ではないだろうということだ。

空水彼方は、デビュー配信のときに相対した程度の実力の7人に襲撃される程度であれば、たとえ反撃を封じられたとしても、19時間のあいだ身を守り続けることは十分に可能なのだ。本気で空水彼方の命を狙うのなら、7人はいまだ空水彼方に見せていない実力をみせるしかない。となると、7人としてはアドミンスキルを使うことによって空水彼方を倒すしかないわけだが、空水彼方としては、仮にどこか一つの半独立空間内で一人にアドミンスキルを使われたとしても、いつでも転移魔法でほかの半独立空間に移動して難を逃れることができる。Celestiaは、戦闘時間以外に空水彼方を襲撃して逃げ回られるよりも、確実にアドミンスキルを行使し続けられる状況である戦闘時間内に空水彼方に対決を挑むほうが、空水彼方を倒す可能性を高められるのだ。

また、Celestiaは、複数人で空水彼方を襲撃する道も、一人で空水彼方と対決する道も選ぶことができる。ただ、ある空間内においてアドミンスキルを行使して神のようにふるまえるのは一人までであることをふまえれば、アドミンスキルを使えないメンバーを戦闘に加わらせて無駄に殺害されるよりかは、一日につき戦闘に挑むメンバーを一人に絞って敗北時の損失を軽減するほうが得策であると、Celestiaの7人は無言のうちに想定していた。

つまり、Celestiaは、7日間、一日につき一人ずつが最大限の力を発揮して空水彼方と対決するしかないのだ。なお、メンバー全員のそれぞれ最大の力が戦闘において発揮されるということは、空水彼方の狙いでもあった。

 

7日間の戦闘場所は以下の通り指定された。

1日目、時間魔術師ツグミの半独立空間。

2日目、死霊術師レンラーラの半独立空間。

3日目、格闘家レイの半独立空間。

4日目、空間魔術師パリラの半独立空間。

5日目、催眠術師アリアの半独立空間。

6日目、魔法戦士ツバメの半独立空間。

7日目、神官ニースの半独立空間。

 

そして、打ち合わせから数時間がたち、ツグミの戦いが始まる。

 

4

いま、19時までの残り時間は5分を切ろうとしている。ここはツグミの半独立空間。CelestiaとArtisanが会議をしていたときは一様に青かった空も、いまや燃えるような赤から沈むような藍まで美しいグラデーションをみせている。東の空にはすでに数十の星が瞬いている。

空水彼方は、1km平方ほどの範囲に断崖も傾斜もない開けた空間の中央に立って、遠く東の地平線を見ている。まばたきごとに空の色は深みを増し、星の数は増えていくが、空水彼方は特段それらに感動しているわけではない。多くの世界を渡り歩いてきた彼女にとってみれば、こんな星空はありふれた景色のひとつにすぎない。彼女が東の地平線を見ているのは、予感があったからだ。彼女の敵が東から現れるという予感が。

やはり、東の方角に、ゆっくりと歩いて空水彼方のほうへ向かってくる人影が見えはじめる。その人影は、白地に金の刺繡をほどこしたローブをまとい、手には木製の大ぶりな杖を握っている。時間魔術師の正装に身を包んだツグミだ。ツグミは空水彼方のそばまでくると、十年来の友人のように気楽な調子で挨拶をする。

 

「こんばんは。まだ約束の時間には早いのに、律儀な方なんですね」

「19時まで入らないほうがよかったか? 戦うための準備が必要ならよそで待つが」

「いえ、いいんです。私、デートとかでも、約束の時間より早く来る人のほうがタイプですよ、空水彼方さん」

「彼方でいい」

「では、彼方。今は星を見ていたんですか?」

「まあ、星もみていた」

「今晩はどの星もきれいですよね、特に月なんかとても……おっと」

「きれいも何も、君が思い通りにできるんじゃないのか、星の輝きぐらい」

「空間を占める何もかもを思い通りにしようとしたら、心がいくつあっても足りませんよ。どこの空間でも起こっておかしくないようなこと……星座の規則的な運行とか、天気のランダムな変化とかは、ローチカ博士っていう方が事前に組んでくださったパラメータに従って動いています。管理者である私も、このパラメータを自分でいじることはめったにありません。他方で、この空間だけに実装された特別な機能に関しては、私たちは、自分の得意な魔法を介することで、いつでも任意に発動することができます。それがアドミンスキル」

「なるほど。しかし、私はつい気軽に質問してしまったが、君らは自分自身の有利を守るために、質問への回答を拒否しても構わないからな?」

「なに、アドミンスキルが何なのかってことくらい、わかっていても私たちのアドバンテージは変わりませんから。非公式wikiにも載ってる設定ですしね」

「余計なお世話だったか、ならいいが」

 

ツグミは声を潜めて、彼方にだけかろうじて聞こえる声でつぶやく。

 

「でも、今日の勝負を分けるとしたらきっと、非公式wikiにも載ってない部分でしょうね……」

「期待しておこう」

 

ツグミは突然飛び退って彼方と距離を置き、いつのまにか地面に置かれていたモノリスの正面に立つ。モノリスの画面上では、ツグミの配信の開始を……ひょっとすると最後になるかもしれない配信の開始を待つ視聴者たちのコメントがすでに高速で流れている。

 

「さあ、時間です」

 

ツグミはモノリスの画面中央のボタンにタッチする。岩場に立つツグミと彼方の姿が画面に映り、同時に画面下方のデジタル時計が“19:00”を表示する。
戦闘開始。そして同時に、配信開始。

 

彼方からツグミまでの距離は10mほど。この岩場の環境であれば、彼方ならば3歩で到達できるだろう。即座に間合いを詰めるか、それともしばらく様子を見るか? しかし先手はツグミのほうが早い。

ツグミは杖を大きく振って宙に弧を描く。言うまでもなく、なんらかの魔法発動のトリガーだ。彼方は様子見を選び、半身に構えて攻撃に備える。

0.5秒後、彼方の耳は上空からかすかな風切り音をとらえる。握りこぶし大の石が、ツグミお得意の浮遊魔法かなにかで空高く舞いあげられ、彼方に向かってまっすぐ落下してきているのだ。

彼方はなんの予備動作もなく、詠唱もなく、石に一瞥をくれることすらなく、件の石に追加の浮遊魔法をかける。軌道からそれた石が彼方の背後へ落下。ばちり、と鋭い音を立てて砕け散る。

 

彼方は怪訝そうに目を細めてツグミのほうを見やる。

 

「前と同じ技でかかってきたのか? より高い場所からの落下なら邪魔されないとでも?」

 

対するツグミはいたずらっ子のように微笑んだ。

 

「期待外れだったならごめんなさい、以前あなたに仕掛けたのと同じ技です。ものを浮かして落とすだけの魔法……でも、今回はこんなのをあと10万個は落とします」

「ほう?」

 

ツグミが再度杖を振ると、大小5個ほどの石が上空から降ってくる。もちろん、彼方をめがけて。彼方はやはり一瞥もせず、浮遊魔法の重ね掛けで石の軌道をすべてそらす。
しかし、間髪入れず、ツグミはより素早く、より鋭く、宙にいくつもの弧を描く。すると、20個近い石が彼方をめがけて降ってくる。彼方は石の軌道をひとつひとつ魔法でそらすことをやめ、右に左にステップして石を避けていく。彼方の動きにあわせて長い銀髪がばさりと振り乱される。

ツグミは杖を振り続け、数え切れない弧を宙に描いていく。もはや杖の先端は常人には見えず、ただ空気を切り裂く音が聞こえるのみ。そうしたとき、1分間で100個を超えるほどの石が間断なく彼方に降り注ぐ。真上からばかりでなく、ほとんど真横から彼方のこめかみにとびこもうとする石すら何百とある。彼方はもはや石を避けることすらしない。両手をかたく握った上から氷結魔法をかけ、氷の即席ガントレットを仕立てると、向かってくる石を力の限り殴り落としていく。

1分間に100個と言っても、律儀に全ての石を殴り落とす必要はない。比較的小さい石・体の輪郭をかすめるだけの石を無視すれば、秒間1発もパンチできればダメージを防ぐには十分だ。

しかし、それではただダメージを防げるだけではある。石つぶての雨の向こうにかすかに見えるツグミは、杖をふる速度をますます速くしており、それに従って石つぶての密度も高まっていくようだ。10万個の石つぶてが落ちるまで、もう石つぶてが途切れることも、勢いを弱めることもないのだろう。致命傷となる石つぶてを殴り落とし続けるだけでは、1000個の石つぶてをしのぐより先にツグミの勢いに押し負けてしまう。それに、たとえ10万個の石つぶてを無事しのぎ切れるとしても、砕いた石つぶての破片で彼方は生き埋めになってしまう。

 

見る限り、ツグミが使っている魔法はいくつもの世界に存在する平凡な浮遊魔法に相違なかったし、それは彼方にも使えるものだ。ただ、現在、ツグミの魔法は、彼方がじかに目にしても真似できず、理解もできない何らかの手段で大量に並列処理されている。そして、その真似のできなさ・理解のできなさこそは、彼方とツグミとの根本的な“権限”の違いに起因するものとみて相違ないのだ。

そう、この半独立空間の中に限って浮遊魔法を大量に並列処理する、それがツグミのアドミンスキルだった。

 

「単純だが、効果はあるな。なにより私に真似できない。そういう攻撃は珍しい」

「おほめにあずかり光栄です。でも、真似できなくても対処はできる、違いますか?」

「違わない。君を殴ってその攻撃を止めさせる」

 

彼方は、これ以上石つぶての雨が勢いを増す前に、前進してツグミを直接叩くことを選ぶ。地面は粗い砕石で覆われ、ローラーブレードはほとんど機能しなくなっているが、単純な駆け足ならば石の雨から身を守りながらでもできる。

彼方が駆け始めると、ツグミも杖を振り続けながら後退を始める。

 

「やはり、これだけではあなたの歩みは止められませんね……。ギアをひとつあげていきますよ」

「陳腐なことを!」

 

ツグミは瞬きの間にも満たないほんの一瞬、杖を止めると、即、それまでを上回る速度で杖を振り始める。先ほどまでは複雑な弧を描いていた杖は、こんどはひどく単純に、ツグミの胸の前で時計回りに回るだけだ。

彼方はそのとき、かすかな違和感を感じる。数分前に、全く同じ順番と角度で飛び込んできた一連の石つぶてをパンチで処理したような、不確かな記憶。

最初、単なるデジャヴかとも思ったが、同じ違和感を断続的に5秒間感じたところで確信が生まれる。この石の雨は確かに、数分前に飛んできた順番と角度を再現している。ツグミは、瞬間瞬間に新たな攻撃パターンをランダムに作り続けることをやめ、同一パターンの反復を始めたのだ。

彼方は数分前の自分の動きを再現、またはブラッシュアップして、二巡目の石つぶてに対処する。そうこうしているうちに石つぶての雨は三巡目、四巡目の再現に入り、彼方の対処能力は相対的に向上していく。ツグミと彼女の世界の処理能力が限界に到達してしまい、新しい攻撃パターンを創造できなくなったのか? 最初はそう考えた彼方だったが、やがて、ツグミの能力は限界に達したわけではなく、単に戦術を転換していただけだったということを悟る。

一連のパターンは、五巡目、六巡目、七巡目……と回数を重ねるに従い、より短い時間で再現されているのだ。それは、石つぶてが落ちてくる頻度が増加しているということだけでなく、落ちる速度そのものが高まっているということさえ意味している。およそ正常な重力のはたらく空間ではありえない、落下現象全体の加速。仮想世界を管理する“時間魔術師”ならではのインチキ。

十巡目を超えたあたりから、同じパターンに対処することによる彼方の“慣れ”を、落下現象の加速が上回るようになる。彼方は、先ほどまでなら容易に殴り落していたサイズの石つぶてを撃ち漏らし、身体にいくつかのかすり傷を作り始める。ますます激しく銀髪を振り乱し、額から汗の粒が散り、太陽の光に照らされてきらめく。気づけば、東の空にはすでに太陽が昇りつつあった。その、あまりにも早い日の出を背中にして、杖をますます早く回し続けるツグミが語りかける。

 

「わかりましたか。これが、時間魔術師と呼ばれる私の戦い方。あなたの想像する時間魔術とはだいぶ違ったかもしれませんが」

 

彼方はテンポの良い呼吸に小さなため息を挟んで、これに応える。

 

「そうだな。正直なところ、期待外れだ●●●●●

「……これでもまだ足りませんか」

「私はこんな、ただ大規模なだけの魔法ではなく、本物の時間魔術を目にしたいと思っている。君は“ツグミ”だから多少は期待していたんだが。さあ、君の“時間魔術”がこの程度のものなら、スパーリングはそろそろ終わりにしようか。体も暖まってきたところだしな」

 

言い放つと、彼方は右の拳を肩の上に構え、たっぷり1秒はかけて息を吸い込むと、全身の気合と魔法を込めて地面を殴りつける。この一撃をはなつ間に致命傷となりうる石つぶてが来ることはない。十巡以上も目にしていれば、弾幕が薄いタイミングなど見逃すはずもない。

渾身の一撃を加えると、地面は一瞬にして分厚い氷で覆われる。氷結魔法を込めた拳をたたきこんだことで、彼方を中心にした半径約1kmの範囲の地面が瞬時に凍り付いたのだ。彼方は飛来する石つぶてを殴り落とす作業を即再開するのだが、石つぶての雨はみるみるうちにその頻度を低下させ、10秒もすると完全に停止する。

 

「これで石の雨が止んだところをみると、君は、地面の石を適当に浮かせて適当に投げつけていたらしいな。そこら一帯の石ころは地面に縫い付けさせてもらったから、もうあんな流星雨はできないはずだ。しかし、ひょっとすると君も凍結に巻き込まれるかと思っていたが、そこまで判断が遅いわけではなかったようだ」

 

彼方が拳を振り上げた瞬間に直感的に危機を悟ったツグミは、手近にあったモノリスを急速に宙に浮かせ、自身もその上に飛び乗っていた。この一瞬の判断が功を奏し、ツグミは地面と一緒に凍結することを免れ、モノリスに乗ったまま数百メートルの上空に舞い上がっている。見渡す限り氷に覆われた地面を見下ろして、その表情には確かな焦りが混じる。

 

「一瞬でこれほどの範囲の石つぶてを封じるとは……! しかし、まだ動かせる石は残っています」

 

ツグミは戦略を再度転換する。杖を複雑に振って宙にいくつもの弧を描き、新たな攻撃パターンで彼方に石つぶてを落とすのだ。

広範囲の地面が凍結されたことで、一度に彼方に襲い掛かる石つぶては片手で収まる数にまで減ってしまっている。しかし、ツグミはその少ない石つぶてをより速く、複雑な軌道で彼方に接近させる。もはや浮遊や落下というべきではない、怒り狂ったスズメバチの集団のように曲がりくねった軌跡が彼方を包囲する。

激しく、鋭く投げつけられる複数の石つぶて。しかし彼方の態度に焦りはない。

 

「スパーリングは終わりだと言わなかったか?」

 

彼方は一番に接近してきた石つぶてを両手で受け止めると、雷のような速さでツグミに向けて投げ返す。ツグミはすんでのところでモノリスの上から飛びのき、この急な反撃を避ける。瞬間、落下しながら、いまだ氷に覆われきっていない岩を見繕い、浮遊魔法で宙へ舞い上がらせて自分の新たな足場にする。

しかし、彼方は間髪を入れずに2発目、3発目の石つぶても受け止めて投げ返す。ツグミは瞬時にいくつもの岩とモノリスに浮遊魔法をかけて足場にし、空中を飛び移り続けて避けるしかない。

ツグミは足場の確保に気をとられ、彼方への攻撃パターンがやや散漫になる。この隙を見逃す彼方ではない。思い切り踏み込んだ一歩で石つぶての包囲を抜け、続く三歩でツグミのほうへ一挙に接近。その勢いのまま、凍り付いた大地を蹴って跳躍。最後に、ツグミの周りで浮いたり沈んだりしている岩で三角跳びを三回。ついに、十メートルほどの高さで滞空しているツグミの、手が届くほどの距離まで迫る。

彼方は、ツグミの顔の真ん中へ膝をたたきこもうとする。

 

「これで王手だ」

「一手遅いです」

 

膝蹴りがきまる直前、彼方の視界が突如ブラックアウトする。煙幕を張ったのか、それとも目隠しでもしてきたか? 彼方の脳裡にいくつかの可能性がよぎるが、膝蹴り自体はためらわず敢行する。

そして、膝がツグミの顔をかすめる感触を覚える。しかし命中ではない。おそらくツグミは体をひねって命中を避けたのだ。視界さえあれば、彼方もツグミの動きに応じて膝の角度を微修正することで命中をもぎ取っただろうが、視界が奪われるほうが早かった。なるほど、一手遅い。

 

ツグミを見失ったまま、彼方は十メートルの高さから地面に着地する。着地後まもなく、石つぶてが再度彼方を包囲して迫ってくるので、彼方は音を頼りにこれらを殴り落して対処する。殴り落としながら、すぐに彼方は気づく。視界がなくなったのは、煙幕のせいでも目隠しのせいでもない。ただ、通常はあり得ない異常な速度で太陽が沈んで夜が来ただけのことだったのだ。彼方の視覚は正常だし、空には星の光もあるので、すぐに目が慣れて視界も戻ってくる。

やまない石つぶてに対処しながら、彼方は周囲を見回す。すると、彼方から100mほど離れたところに、杖を振り回し続けているツグミが見つかる。彼方は再び距離を詰めようとするが、走りだそうとしたところで視界がホワイトアウトし、ツグミを見失う。今度は急激に日が昇ったのだ、と彼方は悟り、目を細めて視界を回復させるのだが、回復したときにはツグミはすでに違う場所で杖を振っている。

 

「管理者権限で太陽を動かして目くらましか。贅沢なことを」

「世界を渡り歩いてきたそうですが、こんな戦い方をする人はいなかったでしょう」

「そうだな」

 

精一杯の挑発を向けるツグミであったが、呼吸はわずかに粗くなり、足元も多少ふらついていることを隠しきれていない。身体動作を伴う魔法を連続で行使し続けたことで、その疲労は限界に近付いている。しかし皮肉なことだ、ツグミよりもずっと激しい動きを続けてきた彼方のほうが余力を残しているようにみえる。ツグミはここで攻撃の手を緩めるわけにはいかない。せめて一枚でも多く、彼方に手札を吐き出させなければ!

ツグミは、一分前、一秒前よりもより速く、鋭く、杖を振る。ツグミ自身にも想像できなかったほどの速さで動く杖に内心驚きすらする。石つぶての群れも、太陽も、月も、速度と軌道にランダムな変化がつけられながらその平均速度を限りなく上昇させていく。世界全体が激しく明滅するなかで、彼方に間断なく石つぶてが降り注ぐ。

攻撃と目くらましの双方が密度を増していくなかで、彼方は、つい先ほどのようなツグミへの接近を試みることをやめる。半目を開けて仁王立ちし、動きは最小限、向かってきた石つぶてをたたき落とすだけ。

ツグミは考える、私はついに彼方を追いつめたのか? 彼方は打つ手がなくなって消極的な防衛に専念するようになったのか? いや、あの人物がこんなに簡単に底を見せるとは思えない。ツグミは懸命に呼吸の乱れを隠しながら、彼方を挑発する。

 

「必殺技でもチャージしているんですか? もし面白い技をこれから使うつもりなら、私がこのまま押し切ってしまわないほうがいいですかね?」

「はったりが下手だな。押しているのは君じゃない、私だ。それに、私のこれは必殺技なんてものではなく、君の技への対策として思いついた間に合わせの技だ。あと、この技にチャージ時間などはなく、今しがたほぼ決まったところだ」

「はい?」

 

彼方の視線が空を示したので、ツグミも、彼方に集中していた注意の範囲を上空へと広げる。するとどうしたことか、空のかなり高い部分に虹色に光る雲が広がっていて、地上へ幻想的な光を落としている。空全体は、ツグミの“贅沢な目くらまし”によってなおも明滅しているのだが、雲が虹色に輝き続けているので、目くらましの効果はほとんど失われている。

 

「目くらましの効果を緩和するだけのことだが、こちらもいささか贅沢な手を使わせてもらったぜ」

「虹色の雲……世界を渡る旅人としての能力ですか」

「いや、そこまで贅沢なものじゃない」

 

彼方は、氷結魔法を応用し、高空の気温を極端に下げたのだ。すると、空のかなり高い位置に粒の均一な雲ができ、地平線の下にある太陽の光を強く反射する鏡となる。これによって、日の出前と日没後に太陽の光が地上に届く時間にマージンができ、目くらましの効果が極端に薄くなる。

つまり彼方は、極地などでみられる、真珠母雲と言われる現象を再現したのだ。ただ、彼方の脳裡にあったのは「高空に鏡を作ればいい」という無骨なアイデアのみなのだが。

 

「もう、急に夜が来たところでさほど暗くはならないぜ。さあ、もう一度王手だ」

 

彼方の目がしかと開かれ、赤みがかった瞳がツグミを見つめる。その瞳に気圧されて、ツグミは一瞬ひるむ。同時に、彼方は向かってきた石つぶてを掴んでツグミのほうへ投げ返し始める。つい数秒前と大して変わらないやり取りのはずだったが、着々と体力を失ってきたツグミの回避動作が今度は少し遅かった。彼方が投げつけた石つぶての一個がツグミの右手に激突。拳の骨が砕ける音と共に杖がツグミの手を離れて飛んでいく。
ツグミは一瞬だけ、しまった、という顔をして、即、飛んで行った杖を拾いに行く。ツグミの手から杖が離れたこの一瞬に、彼方は当然、石つぶての包囲を抜けてツグミの首をとるために接近している。

ツグミは確信する、自分にはもう防御に使える手札は残っていない、次の彼方の攻撃で確実に自分は死ぬ。だから、最後の魔法を使うことを決める。自分の愛する世界に別れを告げるための特別な魔法を使うときが来たのだ。

 

ツグミは、左手で杖を拾い、素早く、大きく円を描く。描き切ったのとほぼ同時に、彼方の飛び膝蹴りがツグミの後頭部に直撃する。

ツグミが地面にうつぶせに叩きつけられ、少し遅れて、血だまりが広がる。頭蓋骨が砕けている。即死だ。

 

彼方は、軽く身構えたまま、ツグミの死体を見つめる。手ごたえは十分だったが、油断はできない。この敵は、時間魔術に適性を持つことが多い“ツグミ”の個体なのだ。殺したとは言っても、時間逆行レトログレードなどの方法を使って逆転を試みてくる可能性はある。たっぷり1分間は死体を見つめたあと、彼方はため息をついて戦闘態勢を解く。何とはなく、虹色に光る空を見上げる。独り言が口をついて出る。

 

「最後まで期待はずれだったな……。時間魔術師を名乗ってはいたが、時間魔術らしいものは全く使わない。代わりに、平凡な浮遊魔法をそこそこ大規模に使ってくるだけの敵だ。天体を動かすのさえ、時間的な処理でなく物理的な処理を用いてきた●●●●●●●●●●●●ときには落胆を通り越して笑ってしまいそうだった。そもそも、本当に時間に干渉できるのなら、私に関知されないように時間を加速して、戦闘時間の終わりを宣告するという戦略をとればよかった。こっちはその戦略のための対策も用意しておいたというのに……。まったく、君は本当にツグミの個体なのか?」

 

彼方はつま先でツグミの肩を小突くが、当然ツグミが何か答えることはない。

 

「まあ、看板倒れの敵にがっかりさせられるのもよくあることだ。とりあえずは、約束の12時になるまでここで天体観測でもするほかなさそうだな……おい、あの月は!」

 

そのとき、彼方は珍しいことに全身で驚愕していた。

 

「相討ち狙いかよ!」

 

彼方が見上げる空の天辺には、真っ赤な月が煌々と光っている。そして、彼方が驚くのはその月の大きさ。多くの世界で見られる月の20倍近い大きさの満月がそこでは輝いている。なおかつ、大きさが毎秒増している。

 

ツグミは死の直前、最後の魔法として、月を地表に落下させる術式を行使したのだ。月が落ちてくれば、無論、彼方が消滅するだけではなく、ツグミ自身の身体や、半独立空間全体の環境も決定的に破壊されることになる。文字通りの最期の手段。

 

彼方は、月が落下してくるまでの時間を瞬時に目算する。この月の直径が仮に3500km程度で、いまの加速を継続するとすれば、地表に激突するまではおそらく3分程度。ツグミがかけた魔法の内容によってはもっと速く激突することも考えらえる。月が落下するとなれば、この大地のどこにいようが命はない。一刻も早くこの惑星からの脱出が必要だ。

彼方は、地面の凍結を解除し、その地面に半ば埋まっていた直径100mほどの岩塊を見つけると、岩塊の上に乗り、浮遊魔法をかけて浮かせる。ツグミがアドミンスキルを介して行ったような浮遊魔法の高速並列処理は彼方にもできない……おそらくどの世界の人類にもできないが、意識を集中して100m程度の岩塊を浮かせる程度であれば彼方にも十分可能だ。

あと2分。上向きの加速をかけて、自分ごと岩塊を空へ舞い上がらせる。数kmも上昇すると空気は薄く、紫外線は強くなってくるので、彼方はデモンドゥームを出現させて自身の周囲に半透明なドーム状の防護壁を展開する。デモンドゥームの機能を使えば、宇宙空間でも数時間の生命維持に支障はないはずだ。

あと1分。岩塊の進行方向を多少月に寄せて修正する。適当な目測での軌道計算だが、落下しつつある月の周囲でスイングバイのようなことをすれば、効率的にこの惑星の重力圏から脱出できるはずだ。そして、すぐに月の裏側が見えてくる。

月が地表に着弾する。彼方が乗っている岩塊は、着弾の瞬間、ちょうど月の影に位置して、着弾の衝撃の余波を浴びることを免れる。そして、岩塊はその惑星と月から順調に遠ざかっていく。脱出は成功した。

 

彼方は、防御壁越しに崩壊していく惑星を見つめていた。着弾地点を中心に、マグマの津波が波紋のように広がり、ほどなくして地表を覆いつくす。着弾した月のほうは、はやくも輪郭を崩して惑星のなかに溶けていこうとしている。数分前までツグミと彼方が死闘を演じていた場所に、いまは巨大な真っ赤な火の玉が虚空に浮かんでいるだけだ。

 

「相討ち狙いというより、天体ショーのチケットをプレゼントといったところだったか」

 

彼方が崩壊した惑星から目をそらすと、彼方のすぐそばに、例のモノリスが横倒しになっているのを見つけた。戦いのなかでどこをどう転がってここまで来たのか、あちこちにヒビや欠けが目立つ。しかし、配信はまだ続いている様子だった。倒れた位置と方向が幸運で、いまは崩壊した惑星がちょうど画面の真ん中に大映しになっている。コメント欄には、いましがた行われた大勝負に対する視聴者たちの感想のコメントがスクロールしていく。

 

「いや、私にではない、彼らへのプレゼントだな、自意識過剰だった」

 

彼方はモノリスに触れて、配信を終了する。